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「ゲノム編集ベビー」が許されないこれだけの理由

 もちろんそれ以前に、ゲノム編集した受精卵からの出産が許されない理由は幾つもある。第1に、技術の精度が100%ではなく、安全性が担保できていないことだ。想定されるリスクの一つに、目的外の遺伝子を誤って改変してしまう「オフターゲット変異」がある。オフターゲット変異の部位によっては重大な副作用が起こりかねないが、ゲノム編集で生じたすべての変異を確実に把握し、そのリスクを検討するのは難しい。

 一人の体のなかで改変された細胞とされていない細胞が混在する「モザイク」と呼ばれる状態になる可能性もある。その場合、発生が少し進んだ受精卵から細胞を採取して調べ、目的通りの改変ができていたとしても、実際には一部の細胞しか改変できておらず、生まれた子には期待した効果がみられない、ということも起こりうる。

 第2に、ヒトゲノムの改変が倫理的に許されるのか、という根本的な問題がある。生まれた子の全身の細胞に及び、さらに世代を超えて伝わるような改変を、生まれてくる本人の同意なく行っていいのだろうか。親が望んだ容姿や能力を持つ「デザイナーベビー」や、特定の能力を強化する「エンハンスメント」につながる恐れもある。その先に待つのは、優生思想や、遺伝情報の「優劣」に基づく新たな差別のはびこる社会かもしれない。

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 米国や英国の研究者の中には、重い遺伝性疾患などを対象に生殖細胞のゲノム編集の臨床応用を進めるべきだという意見を持つ人もおり、一部の患者団体からも研究の推進を望む声が上がっている。しかし、許される「治療」や「予防」の範囲をどこまでとするのか、その境界を誰がどのように決めるのかという問いに、私たちはまだ答えを持っていない。

 香港で開かれた国際サミットの運営委員会は閉幕日の11月29日、生殖細胞にゲノム編集を施す臨床応用について「現時点では無責任だと考えている」とする声明を発表した。人の尊厳や社会のあり方、さらには人類の未来に関わる問題だけに、個々の国や国際社会での十分な議論が必要だ。

「CCR5について、我々は十分に知っているだろうか」

 ゲノムや遺伝子に関する人類の知識はまだ不十分であることも忘れてはならない。今回の編集の標的は、HIVが細胞内に侵入する際に足がかりとするタンパク質「CCR5」を作る遺伝子だ。この遺伝子に変異を起こし、CCR5ができないようにすることで、HIVへの感染を防ぐのが狙いだった。白人にはまれに、生まれつきCCR5遺伝子に変異を持つ人がおり、賀氏はそのことを研究の妥当性の一つの根拠にしている。

 自然に起こりうる変異だから問題ないという考え方だが、CCR5遺伝子が欠けていると、逆に西ナイル熱という感染症にかかりやすくなったり、インフルエンザによる死亡率が上がったりするという報告がある。ある遺伝子を操作したとき、目的外の影響がでる可能性は常にあるのだ。サミットでの質疑応答でも、ロビン・ロベル=バッジ・英フランシス・クリック研究所教授が、この遺伝子が認知機能にも関わっているとする報告があることに触れ、「CCR5について、我々は十分に知っているだろうか」と賀氏に問いかける場面があった。