2018年は、サザンオールスターズデビュー40周年となる記念すべき年だった。ベストアルバム『海のOh,Yeah!!』を発売、大ヒット。そして19年春には、全国ドーム&アリーナツアーが開催されるという。
これまでの勢いを止めることなく、サザンが41年目に向かっているこのタイミングで、彼らがなぜ、40年間もの長きにわたり、音楽シーンのトップの座に君臨し続けられたのかを考えてみたいと思う。
ただ、こうも思うのだ――「サザンが40年間トップで居続けたのは必然だ」。
何が言いたいかというと、今サザンが君臨している市場=いわゆるJポップ市場の開拓者・確立者が、他ならぬサザンであり、桑田佳祐自身なのだ。だから、圧倒的な先行者利益を受けて当然の立場にいるのである。
「日本語でロックは歌えない」をぶち壊した
では、サザン/桑田佳祐は何を確立したのか。その最も大きな要素は「歌い方」だと思う。若い読者には信じられない話と思われるが、サザンがデビューした78年当時、「日本語でロックは歌えない」という考え方が根強く存在していたのだ。
そんな、今となっては馬鹿馬鹿しい固定観念を、こともなげにぶち壊したのが、弱冠22歳の桑田佳祐なのである。具体的に言えば、「カ行やタ行を英語的に歪めて発音する(例:カ=クァ、タ=ツァ)」「日本語の歌詞の中に英語を混ぜる」「日本語のフレーズを英語的に解釈して歌う(例:もっと最高=Motorcycle)」などの方法論の発明だ。
と、分析的に書くと大変なことのように思えるが、何のことはない、現在のJポップのボーカリストが、日常的かつ無意識的に導入している方法論でもある。つまりは、40年間の長期活用に耐え得る、日本語ロックの普遍的な歌い方を発明・確立したのが桑田佳祐だったのだ。