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ベイスターズ追浜移転で思い出す、横須賀にあったもう一つの二軍球場のこと

文春野球コラム ウィンターリーグ2018

2018/12/21
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ヤクルトが去った後も地元の小さな自慢だった

 ヤクルトが去った後も武山球場は地元の小さな自慢だった。筆者もこの地に越してきて小学校の友達と野球の話をする中で自然とその存在を知ることとなり、自転車で見に行ったことがある。三浦海岸へ続く県道の坂道をひたすら上り、脇道を少し入ってようやくたどり着けるのだが、まずはグラウンドの広さに驚かされた。両翼は明らかに100m、センターも120m以上はあるのだ。ただしグラウンドを囲むフェンスは傷んでおり、観客席らしきものもない。

 それでもこののどかな場所でプロ野球選手が練習し、イースタンの試合が行われていた事実はインパクトがあった。年代的には若手時代の八重樫幸雄や杉浦亨もここでプレーしたことだろう。現在の武山球場は京急の福利厚生施設として稼働中で、先日30数年ぶりに訪れると元の広いグラウンドの内側に新たにフェンスが設けられ、両翼80m、センター100m程度の草野球サイズにリサイズされていた。

現在は京急の福利厚生施設となっている武山球場 ©黒田創

 地元にプロ野球チームがあるのはそれだけで心が躍る。だから武山からかなり距離があるとはいえ、86年に長浦のホエールズ総合練習場が出来た時は嬉しかった。正確にはその前年の85年、市中心部の日の出町に仮合宿所が設けられ、87年にグラウンド横に現在の寮が完成している。京急の安針塚駅から坂を下り、国道16号線を歩道橋で渡って横須賀線の踏切を超え、このグラウンドに通った人はそれぞれに長浦の思い出があるはずだ。

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 来年から名実ともにベイスターズの一大拠点となる横須賀市最北端の追浜。それとは逆の南西部にあった球場のことも、こうして記しておきたい。

『月刊ホエールズ』85年5月号の合宿所移転記事。現在に続くベイスターズ横須賀拠点化の第一歩だった ©黒田創

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