本連載初の書籍化となる『泥沼スクリーン これまで観てきた映画のこと』製作にあたり、これまでの回を全て読み直した。そこで気づいたのは「なんてことを書いてしまったんだ――」という文章が少なからずあるということだ。
第十二回『月光の囁き』は、その最たるところである。
田舎町を舞台にした、ある高校生カップルの恋模様が描かれた本作は、序盤だけ観ていると「よくあるティーンズの爽やか恋愛映画」と勘違いしてしまうかもしれない。それだと筆者には興味ない類の作品となる。が、興味ないどころか、これまで観てきた全映画の中でも最も大好きな作品の一つなのである。
それは、中盤以降のこの男女の成り行きが尋常でないものになっていくからだ。
主人公の拓也(水橋研二)は同級生の紗月(つぐみ)と付き合い、肉体関係まで結ぶも、どこか満足いかない。なにせ拓也は「紗月の犬」になることを求める「変態」。「普通の付き合い」など求めていないのだ。そして、紗月も一度は遠ざけながらも徐々に自らの本性に目覚め、拓也に無理難題を押しつけていく。傷つきながらも悦びを覚える拓也と、葛藤を抱えつつも拓也に引きずられていく紗月。そんな二人のひと夏の恋が、爽やかな映像の中で綴られる。
本作について、筆者は次のように書いている。「お前の求めている恋愛は、こうだろう」「ここに映っているのは、自分自身だ……」
「偏愛」を書くことを依頼されたもののどう書けばいいのか分からず、「観た当時の自分の心情」と重ね合わせる――というスタイルを突破口として見出した連載当初の頃。その多くは自虐ネタで、いろいろと吐露しているうちに行き着いたのが、この十二回だった。その時の勢いとはいえ、今から思うとゾッとする。
というのも、取材やインタビューをしていると、映画関係者の方々に「週刊文春の連載、読んでますよ」と言われることが多々あるからだ。しかも、こちらが尊敬しているようなベテランたちに。ああ、あの人にあの原稿を読まれてしまっていたのか。後悔するも、もちろん先に立たず。
それだけではない。その時の原稿は締めに「紗月みたいなコ」に「足蹴にされたい」とまで書いてしまっている。そしてこれが間接的なキッカケとなり、某ラジオ番組で女性に尻を思い切り蹴られるという謎の展開が待ち受けることになったのだ。ネット中継をされていたのもあり、あまりの痛みに悲鳴をあげ涙する筆者の姿が全世界に流された。
そんなこんな、居たたまれない気持ちが去来する、今回の書籍化作業であった。