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背景にはファッションやアートにおける「レトロブーム」

 韓国におけるシティポップの流行を語る上で、もう一つ外せないのは音楽やファッション、アート等を含めたカルチャー全体のレトロブームだ。世界的にレトロカルチャーが旬な今、韓国でも80年代ファッションやアイテムが若者のトレンドだ。

「ジュリアナ東京」のお立ち台で踊る女性たち ©共同通信社

 一方、80年代の日本と言えばバブル華やかかりし頃。韓国でも、日本の“バブル時代”が好景気だったという認識はされているが、80年代の韓国は軍事政権下であったため、その実情が直接的に伝わることは無かった。98年以降、韓国で規制されていた日本の大衆文化が段階的に開放され、加えてインターネットの普及により情報はリアルタイムで伝わるようになり、このレトロブームに沸くごく最近になって、バブル時代の日本のカルチャーが注目されるようになった。

 これまで“バブル時代”という言葉のみ認識していた韓国の人々が、ネット上で当時のコンテンツを探し出して楽しんでいる様子が見受けられ、YouTubeに韓国語のタイトルでアップされた、80年代の日本のコカコーラCM集には、「なんて洗練されているんだ」「幸せそうなフリではなく本当に幸せな時代」「形容できない麻薬だ」「日本の80年代はこんなにトレンディだったのか」と興味津々な様子のコメントが続く。

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 シティポップも、そんなバブル時代の関連アイテムとして捉えられている傾向もある。取材では、シティポップの楽曲について「都会的で洗練されていて、サウンドも、アルバムジャケットもおしゃれ。今のソウルも十分に都会的だけれど、シティポップから連想する日本のバブル時代は、もっと余裕や誇りがあるように感じる」(20代/女性・アパレル系)という意見や、音楽フリークの50代の事業家の男性が「録音環境をはじめ、世界トップクラスのセッションミュージシャンを招き入れるなど、当時のシティポップは本当に素晴らしい環境で制作されている。バブルの好景気だったことも、質の高い音楽が作れた理由ではないか。日本は一度高い水準の音楽を経験しているからこそ、今も高水準の音楽環境が保たれていると感じる」と評する声も聞いた。

“インスタ映え”する鈴木英人のグラフィック

 また、バブル時代“トレンディ”の象徴的存在でもあった鈴木英人のグラフィックは、80年代の山下達郎のアルバムジャケットなども多く手掛けたことから、韓国でシティポップを紹介する際に視覚的に使われることも多い。

インスタグラムでの「#시티팝(シティポップ)」検索結果(「インスタグラム」より)

 インスタグラムにハングルで《#シティポップ》と入力すると、シティポップのレコードジャケットや関連の動画や写真が、おしゃれアイテム的にアップされている。「最近中古レコード屋で日本のシティポップのレコードを買い集めるのが趣味。音楽を付けてインスタ・ストーリーに流すと反応が良い」と30代の女性フォトグラファーは話す。

 88年のソウルオリンピック以降急成長を遂げた韓国は、世界的な躍進もある一方、若者たちは過酷な競争を強いられ、国内の不景気、就職難、未婚率は日本以上に深刻だ。混沌とした時代に生きる韓国の若者からすると、30年前の日本のシティポップに“憧れ”を抱き、キラキラした都市生活を想起させる存在となっているようだ。

ちなみに韓国ではシティポップから派生して、YMO、細野晴臣(※細野氏は中華圏や欧米ではすでに再評価されている)、松任谷由実、DREAMS COME TRUE、キリンジ、大橋トリオ、星野源など、様々な日本のミュージシャンたちへ興味が及んでいることも面白く、2019年以降もこの広がりは続きそうだ。

K-POP全盛時代に考える、日本の音楽の強み

 韓国をはじめとする世界各国で、なぜ日本のシティポップが流行したのか? それは音楽に限らず、海外からの輸入ものをそっくりに真似するより、日本らしく咀嚼して独自のカルチャーを生み出せる、日本文化の特徴が背景にあるだろう。

 そうした傾向が足かせと捉えられ、日本の音楽業界の“ガラパゴス化”が嘆かれることも多いが、長年にわたって多彩なジャンルを繊細に作り上げて来たからこそ、シティポップのように色あせない音楽が生まれ、世界第2位の音楽市場を保ち続けている。J-POPがアジア最強だった時代は過ぎ、世界で存在感を強めるK-POPの瞬発力に隠れがちなところはあるが、島国でガラパゴス的に生成された日本音楽の多様性・持久性こそが、海外で再評価される底力ではないだろうか。