自分だけを守ろうとすると……
山根氏も同様だ。メディアに出る度に言いたい放題に言い、「1人でメダルを取る力はありません」とロンドン五輪の金メダリスト・村田諒太選手まで非難した。会見を開いても「辞任します」の一言で終わり。強気に出るだけで権力やパワーの見せ方を間違ったのだ。すべては自分が責任を取る、愛するボクシングのためなら言い訳も弁解も責任転嫁もしない。そう大声で言っていたなら、筋の通った人物、信念を行動に移す「男、山根明」が見られたはずだ。
権力やパワーを持つ者が自分だけを守ろうとすると、守り方と守るものを間違えてしまう。その場の自分を守っても、チームも選手も、実績も評判さえも守れない。その後のキャリアすら失ってしまう。
山根氏とは反対に、謝罪会見では時に弱く見せる方がプラスのこともある。弱みを見せることで同情を集められるという「アンダードッグ効果」だ。
だが、伊調選手への謝罪について問われ、「どこかでタイミングが合えば……」と背中を丸めるように下を向いた栄氏には同情は集まらない。弱みや弱さを見せる部分が違うのだ。パワハラの原因となった自分の弱さを明らかにせず、伊調選手に直接、謝罪しに行くだけの精神的な強ささえ示せなかった。人間的な弱さが露呈してしまえば、指導者としては致命的だ。
誇り高きスポーツマンだからこそ
権力ある人間の会見として似たようなマイナスイメージを与えたのは、加計学園の加計孝太郎理事長の会見だ。愛媛県や今治市に虚偽報告をしたことについて「事務局長が勝手にやった」としらを切りとおし、強引に幕引きを図った。そして、三人衆ほどには批判が集中せず、逃げ切ってしまった感がある。
理由は彼らの背景の違いだ。皮肉なことに政治家との癒着を疑われた加計氏なら、受け手も「そんなこともあるのかも」と思うが、スポーツ界となれば話は別。誇り高きスポーツマンシップを、正々堂々とした潔さを求めて期待するものだ。それを裏切って、責任転嫁、自己弁護を聞かされたのだから、「何のための会見?」と思うのも当然だ。
では、どのような会見を行えばよかったのか。残念ながら、今年は保身に走ったオジサンたちばかりで、お手本にできるような良い例が見つからない。日大アメフト部に復帰した宮川選手の会見での潔さを見習うしかない。