秋田内陸線を運行する秋田内陸縦貫鉄道は第三セクター鉄道会社だ。会社名の「縦貫」の文字に「通り抜けてやるぜ」という根性を感じる。
秋田内陸線は、秋田県東部の山間で南北方向に建設された。南の端は田沢湖線・秋田新幹線の角館駅。北の端は奥羽本線の鷹ノ巣駅。両端以外は住む人の少ない地域だ。途中駅に「阿仁マタギ」という駅がある。マタギは山岳に住み、熊など野生動物の猟で生計を立てる人々だ。野生動物の生息地だけあって、車窓風景は大自然をじっくり楽しめるわけだ。
29年もかけて少しずつ延伸
こんな経路で鉄道が建設された理由は、阿仁鉱山からの採掘物を出荷するためだ。阿仁鉱山は鎌倉時代に金山が発見され、後に銅山として発展した。江戸時代の1716年(享保元年)には銅の生産日本一となり、阿仁鉱山の銅は貨幣の原料や輸出品となって、長崎の出島から海外へ出荷された。
明治政府は阿仁鉱山を官営とし、後に鉄道で輸送しようと目論んだ。しかし、国の資金不足や戦争の影響で建設は後回しとなってしまう。最初の開業区間は1934年の鷹ノ巣~米内沢間だった。そこから29年もかけて少しずつ延伸し、1963年に比立内まで到達した。路線名は阿仁合線と名づけられた。南側の角館から北上するルートは1970年に松葉駅まで開通し、路線名は角館線となった。その後、国鉄の赤字が問題となって、全国の赤字線の廃止が決定。新規建設路線も工事中止となった。
ローカル線が頼る方法は観光客の取り込みだ
秋田県と沿線自治体、地元企業は、1984年に秋田内陸縦貫鉄道を設立。1986年に国鉄から阿仁合線と角館線を引き受けた。建設が中止された区間の工事も再開し、1989年に比立内と松葉が結ばれて、全区間の路線名が秋田内陸線となった。
秋田県全体の人口も減っており、秋田内陸線は赤字続きだ。それでも地域の人々は鉄道存続を願っている。秋田県が秋田内陸縦貫鉄道を支援する条件は、年間の赤字額が2億円を超えないこと。現状はギリギリの赤字額でクリアしているという。赤字を減らしたい。沿線に人はいない。そこでローカル線が頼る方法は観光客の取り込みだ。