「エーオ」の直前に映るのは「批評家」?
こうして、フレディが「エーオ」のパフォーマンスを炸裂させるための準備が整えられます。すでにライヴの盛り上がりは最高潮に達したかに見えますが、この映画はさらに貪欲にそれを引き上げようとしてきます。実は、フレディが最初の「エーオ」を発声する瞬間、カメラはスタジアムでもパブでもない場所に置かれています。
カメラが置かれているのは、フレディの自宅であるガーデン・ロッジの室内です。ここでカメラは、ライヴをテレビ視聴しているフレディの飼い猫たちを捉えているのです。この猫たちは、ライヴ・エイド当日の朝に自宅で発声練習するフレディを見つめていました。その際、フレディは猫に向かって「その程度かって?」、さらに「批評家め」(思わずドキリとさせられました)という言葉を投げかけています。ライヴ・エイドの「エーオ」は、このときの猫たちの眼差しに対する「応答」にもなっているというわけです(図6)。
3曲目「ハマー・トゥ・フォール」で描かれる観客の「応答」
人類以外をも釘付けにするフレディの圧巻のパフォーマンスが、当の人類に突き刺さるのは必然でしょう。フレディによる「エーオ」のパフォーマンスに続いて(図7)、クイーンが「ハマー・トゥ・フォール」の演奏に入ると、ライヴ・エイドの事務局には寄付の電話が殺到し、目標額の100万ポンドを達成します。クイーンがパフォーマンスを通して行った「呼びかけ」への、これが観客の「応答」なのです。
この場面は、クイーンと観客の「呼びかけと応答」にとどまらず、フレディと父親との「呼びかけと応答」の物語をも成就させています。フレディは、父親が彼に望んだ「善き思い、善き言葉、善き行い」を見事に実践して期待に応えてみせたわけです。映画の序盤では、この言葉を口にした父親に対して「それを守っていいことあった?」と口答えしていたフレディですが、その答えはこの場面のフレディ自身が誰よりもよく知っているでしょう(図8)。
そもそも、ライヴ・エイドという人類史上最大規模のチャリティ・コンサートは、ボブ・ゲルドフ(ダーモット・マーフィー)の「呼びかけ」によって実現したものでした。クイーンはゲルドフの「呼びかけ」に「応答」してライヴに参加し、世界に向けて寄付を「呼びかけ」、人々がそれに「応答」して寄付を行ったのです。『ボヘミアン・ラプソディ』が描く「呼びかけと応答」の物語は、ここに最高到達点を示したと言っていいでしょう。