『ボヘミアン・ラプソディ』の快進撃が止まりません。12月25日の時点で日本での興行収入は65億円を超え、観客動員数は470万人を突破しました。

 一般に10億円を超えれば「ヒット作」、20〜30億円で「大ヒット作」と見なされますので、公開8週でこの数字を叩き出している本作は、控えめに言っても「驚異的なヒット作」ということになるでしょう。じっさい、この数字は2018年に日本で封切られた洋画のなかで2位、日本国内で封切られた歴代の音楽・ミュージカル映画のなかでも2位に位置するものです。客足はまだまだ衰えていませんので、年末年始の興行でさらに記録を伸ばすでしょう。 

左からブライアン・メイを演じたグウィリム・リー、ロジャー・テイラーを演じたベン・ハーディ、フレディ・マーキュリーを演じたラミ・マレック、ジョン・ディーコンを演じたジョゼフ・マゼロ ©Getty Images

 映画がヒットしている理由はさまざまに考えられますが、ラストに置かれたライヴ・エイドのシーンの完成度の高さがそのひとつであることは疑いありません。レヴューサイトやSNSの感想には、このシーンの魅力について語っているものが膨大に存在します。先日、私は映画館で10回目の鑑賞をしてきましたが、ライヴ・エイドのシーンで隣のご婦人が涙ぐんでおられるのがはっきりと伝わってきました。 

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 10回も見ていると、このシーンが観客の感動を呼び起こすために実にさまざまな工夫を凝らしていることがわかってきます。今回の記事では、ラスト・シーンで演奏された4曲を時系列順に振り返りながら、その仕掛けを明らかにしていきたいと思います。 

1曲目「ボヘミアン・ラプソディ」であえて観客の顔をぼかす意味 

 ライヴ・エイドの1曲目で披露されるのは、劇中で作曲過程が詳細に描かれていた「ボヘミアン・ラプソディ」です。実は、この曲の演奏中には、観客の顔が一切識別できないようになっているのです。これは単にCGI作成のコストを切り詰めるために行われているわけではなく、積極的な演出の一環だと考えられます(図1)。 

図1 じっさいのライヴ・エイドの記録映像では、クイーンのメンバーたちに先んじて観客席のアップが挿入されています。映画はあえてこのようなショットを除外しているのです。「伝説の証 ロック・モントリオール1981&ライヴ・エイド1985」(ユニバーサル ミュージック、2016年、DVD Disc2)

ピアノの前に座っているフレディ(ラミ・マレック)を横から捉えた図2のようなアングルのショットには、後景に観客席が写り込んでいます。しかし、観客席に焦点が合っていないため、そこに大勢の人がいることはわかっても、個々の顔は視認できません。

図2 この画像は「伝説のチャンピオン」を演奏しているときのものですが、同様のショットが「ボヘミアン・ラプソディ」の演奏中にも見られます。ここでは、観客席に焦点が合っていないような映像をあえて作り出していると考えられます。「Bohemian Rhapsody | A Tribute to Queen | 20th Century FOX

 観客席を意図的にぼかしていると考える根拠のひとつは、映画の冒頭にあります。映画は、冒頭でライヴ・エイドの場面を少しだけ見せてくれます。舞台裏のカーテンが開けられ、フレディがまさにステージに上がろうとする瞬間、大観衆で埋め尽くされたスタジアムの様子が映し出されます(図3)。観客席までの距離が遠いために、いずれにせよ観客の顔はよく見えませんが、図2と比べると相対的に鮮明な映像であることがわかります(劇場の大スクリーンで見れば、その差はより明瞭にわかります)。ちなみに、ラスト・シーンではカーテンが開かれる瞬間にショットが切り替わるため、観客席の様子は見えません。

図3 映画の冒頭でライヴ・エイドのシーンを少しだけ見せています。「Bohemian Rhapsody | Official Trailer [HD] | 20th Century FOX

「観客との交流」はこの映画の重要なテーマの一つです。にもかかわらず、なぜ観客の顔が見えないようにしているのでしょうか。それは、「ボヘミアン・ラプソディ」の演奏場面がどのようなショットで構成されているかを見れば自ずとわかります。