「プーチン大統領を松山に呼びたい!」とぶち上げた愛媛県の南海放送・田中和彦社長。実はアナウンサー出身の異色の経歴の持ち主です。そのラジオっ子社長が語る、これからのラジオ論、番組を作るということ。(全2回のインタビュー後編。前編から続く)

アナウンサー出身の南海放送・田中和彦社長

『POPS ヒコヒコタイム』のパーソナリティだった

——田中さんはもともとアナウンサーだったんですよね?

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田中 そうです。『オールナイトニッポン』のパーソナリティだった亀渕昭信さんに憧れてこの世界に入りました。大学もカメさんに憧れて、愛媛からはるばる早稲田に入ったくらい。

——ハガキ職人ではなかったんですか?

田中 そこまではいかなかったんですけど、とにかくラジオっ子でした。だから南海放送に入社してから、テレビのほうがなんとなく格上の雰囲気があったのが不思議だったほどです。深夜放送のパーソナリティになったときはうれしかったなあ。

——番組名は……。

田中 『POPS ヒコヒコタイム』。ふざけた名前でしょう(笑)。29歳から49歳まで20年ずっとやっていたんです。だから今、社内の部長クラスは僕の番組を聴いていたやつが多くて、社長と呼ばれずに「和彦さん」って呼ばれてます。

リスナーのターゲットが「高2」だった理由

——リスナーのままの感覚で。

田中 そうです、そうです。社長になってからは、銀行さんや県庁とのお付き合いも増えたんですが、おかげさまでどこに行っても「聴いてました」ってところから会話が始まる。20年間ずっと提供なしの番組だったから社には全く貢献してこなかったんだけど、ここに来て少しは役に立っているかな(笑)。

——ちなみに『ヒコヒコタイム』はどんな番組だったんですか?

田中 コンセプトは高校2年生に聴かせる洋楽番組。愛媛から東京や大阪に出ても、田舎のコンプレックスを持たずに済むような魂を植え付けてやろうって思ってました。僕らの時代でいうと、ビートルズやローリングストーンズのメンバーをスラスラ言えたり、曲名を次々に言えたりしたら、ちょっと訛っていようが都会人と対等になれるって雰囲気だったんですよ。その文化を自分でも受け継いでやっていた感じがありますね。高2ターゲットというのは、受験に専念する高3よりちょっとボーっとしているこの年代の方が色々吸収しやすいからね。