2019年4月で「平成が」幕を閉じる。「平成」とは私たちにとって、どのような時代だったのか。新たな証言や新発見の資料から激動の30年を見つめる「NHKスペシャル」の大型シリーズ「平成史スクープドキュメント」が昨年10月から放送が始まっている。今回、私は「第2回 バブル 終わらない清算 ~山一証券破綻の深層~」を担当した。

「平成」はバブル絶頂の1989年に始まった。株価は3万9千円に迫り、地価は暴騰、「東京23区でアメリカが買える」とまで言われた。そんな右肩上がりの成長神話に完全に終止符を打ったのが、平成9年の山一證券破綻だった。当時の野澤正平社長が号泣し、謝罪する姿は、バブル崩壊、その後の“失われた20年”の象徴として記憶されてきた。

野沢正平社長(当時)©︎AFLO

あの涙の意味は何だったのか

 今年で、山一破綻から22年になる。これまで、社内調査やその後の裁判、ジャーナリズムによって、破綻の原因となった莫大な「簿外債務」の実態は検証されてきた。しかし、不正に関わった社員は数百人に及んだにも関わらず、なぜ不正が蔓延したか、なぜ自浄作用が働かなかったか、多くの人々は責任を問われることはなく、会社組織が生んだ闇は、ほとんど明らかにされてこなかった。山一は破産手続きを終えた平成17年、完全に消滅。不正に関与した当事者たちも固く口を閉ざした。山一を破綻に追いやった闇は、損失隠しやデータ改竄が頻発する平成の日本企業が抱え続ける病巣と通じるところがあるのではないか。そんなことを考えながら、取材を始めた。

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 今回、番組の制作にあたり、当時の社長、野澤のインタビューは、欠かせないと考えていた。破綻をどう受けとめているのか、あの涙の意味は何だったのか、改めて聞いてみたいと思ったからだ。加えて、これまで簿外債務の存在を知らされないまま、社長に就任したとされてきたが、取材に応じた関係者が、詳細な数字はともかく、存在自体を知らないということはなかったのではないかと疑問を口にした。私は事の真相を野澤自身に確かめたいと思っていた。しかし、野澤は、取材に応じなかった。半年にわたり、手紙や電話、直接自宅を訪れ、幾度となく依頼をしたが頑なに拒んだ。その理由を尋ねると「もう終わったことだ。今を前向きに生きている山一の元社員たちに水を差すようなことはしたくない。勘弁して欲しい」。そう語った。