あと3ヶ月ほどで幕を閉じる平成という時代。政治に目を転じると、平成の30年余りで非常に多くの出来事があった。その中でも平成政治の激変の根源となったと言われているのが、1994(平成6)年に衆議院に導入された選挙制度「小選挙区比例代表並立制」だ。1つの選挙区から複数の候補者が当選する「中選挙区制」から、1人の候補者だけが当選する「小選挙区制」に変わったことで、政治に大きな地殻変動が生じた。戦後38年間続いた自民党長期政権の時代から一転、2度の政権交代がもたらされ、政治に緊張感が生まれた。利益誘導型政治や、派閥政治の解消にも強い影響を与えた。他方、オセロゲームのように激しく議席が入れ替わり、得票率と議席占有率が乖離することも多く、死票が増え、民意が政治に反映されにくいなどの弊害も指摘されている。平成政治に大きな変化をもたらした小選挙区制は、強い「効能」と「副作用」を併せ持つ“劇薬”でもあった。

“劇薬”が効果を発揮した2005年の「郵政選挙」 当時の自民党・小泉純一郎総裁と武部勤幹事長 ©︎文藝春秋

平成政治を一変させた“劇薬”小選挙区制

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 この“劇薬”はなぜ、どのように導入され、日本政治に何をもたらしたのか。NHKでは2018(平成30)年12月22日に、NHKスペシャル「平成史スクープドキュメント 第3回 “劇薬”が日本を変えた~秘録 小選挙区制導入~」を放送した。この番組の取材過程で初めて発掘することができたのが、「小選挙区制導入生みの親」とも言われ、制度設計に重要な役割を果たした後藤田正晴元副総理の未公開資料だ。番組では自民党内の権力闘争、小選挙区制が「並立制」として帰結した背景、社会党が自らを“自壊”させることになる小選挙区制を受け入れていった理由など、様々な観点から制度導入の舞台裏を描いたが、今回は後藤田正晴のメモから浮かび上がる、知られざる改革の原点と、後世への“遺言”とも取れる警句に焦点を当てていきたい。