後藤田の目に映った「中選挙区制」の金属疲労
万年与党・自民党対万年野党・社会党という与野党関係が固定化し、利益の分け前を分配し合い、時になれ合いも生じていた55年体制下の政治では、激変する時代状況に対処できないと後藤田は考えていた。そしてこれらの55年体制の弊害を生み出す元凶の1つに、中選挙区制があると見ていたのだ。
1つの選挙区から複数の候補者が当選できる中選挙区制。過半数を獲得して政権を獲るためには、同一政党から複数の候補者を立てる必要があった。例えば定数5の選挙区では、自民党は派閥ごとに3人から4人の候補者を立てることが多かった。同一政党の候補者に対し政策では差別化が図りにくいため、地元へのサービス合戦につながることが多く、利益誘導型政治の温床とも言われていた。
また野党側から見ても、一定の支持があれば議席を確保しやすく、うまみのある制度とも言えた。後藤田の目には、中選挙区制は「万年与党・万年野党」の構図への安住を助長させるものだと映っていた。長男の尚吾氏はこう語る。
「父親に言わせれば、もう完全に今の制度が金属疲労してしまっていると。要するに自民党が崩壊するということだけでなくて、日本という国自体、日本の政治そのものが本当におかしくなってしまう、そんな意味で金属疲労という言葉を使ったんじゃないかと思うんですね。今のまま対症療法的な処理でやっていたら、いずれ政治家は針のむしろに座ることになると。もう何もできなくなるというようなことを言っていたことを思い出しますね」
「一連の改革を一括、ワンパッケージ」
こうした“金属疲労”の状況に対処する処方箋だと後藤田が考えたのが、政治の抜本改革だったのだ。その中心に据えられたのが、衆議院への小選挙区制の導入だった。そして後藤田は、さらに広範な改革を志向していた。今回、私たちが発掘したメモの中には、小選挙区制の導入に止まらない、後藤田の改革の理想像が綴られていた。
「政治改革と言えば選挙制度の改革のみと理解されがちであるが、国会の活性化、党内民主化、派閥の行き過ぎ是正、政治資金の政党中心など一連の改革を一括、ワンパッケージ」
後藤田は国会改革や参議院の選挙制度改革、地方分権推進など、衆議院での小選挙区制導入に止まらない政治システム全体の抜本改革を志向していたのだ。その構想は、後藤田が主導した政治改革委員会によってまとめられた「政治改革大綱」に色濃く反映されている。