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「郵政選挙」の小泉純一郎は小選挙区制に反対していた

 しかしその後、自民党内の権力闘争や、与野党の駆け引きの中で、政治改革の理念は翻弄されていく。小選挙区制導入の議論が政治改革の中で突出していき、いつしか小選挙区制導入イコール政治改革という流れが出来上がっていったと、当時の与野党複数の幹部が述懐する。海部政権、宮沢政権と2度にわたる法案不成立を経て、1994(平成6)年1月に、細川連立政権の下で、小選挙区制導入を含む政治改革法は成立した(*1)。政治改革法が成立した日、後藤田はメモにこう綴っている。

「感無量、ただ、未だ三合目。政治改革の目的から見れば出発点にすぎぬ。今回の改革はただ変革の第一歩にすぎない」

 しかし、後藤田が構想した政治システム全体の抜本改革は、その後も十分に実現することはなかった。

 政治改革法の成立後、1996(平成8)年に初めて小選挙区比例代表並立制の下で衆議院選挙が行われた。小選挙区制の下では、候補者の公認権と選挙資金配分の権限を握る党執行部に権力が集中する。この特性を最大限に活用して権力基盤を強めたのが、小泉純一郎元総理大臣だった。2005(平成17)年のいわゆる郵政選挙では、小泉氏は郵政民営化に反対する候補者を公認せず、“刺客”と呼ばれる対立候補を立てて大勝。皮肉なことに、平成初頭の小選挙区制導入の議論の際、最も強硬に小選挙区制に反対していたのが、他ならぬ小泉氏だった。当時のNHKのインタビューで、小泉氏はこう語っている。

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「小選挙区制になるとね、組織から資金から人事からもう全て党の一部幹部に集中される訳ですよ。執行部の気に沿わないことが言えなくなる状況が生まれる恐れが出てくる。恐ろしいことですね」

2005年の「郵政解散」と「郵政選挙」で刺客を放った小泉純一郎首相(当時) ©︎文藝春秋

「制度に完成はない」 後藤田正晴の“遺言”

 小選挙区制で党の執行部の権力が強化され、政党組織の集権性やイデオロギー的一体性、議員間の政策選好の一致度(凝集性)が高まったと言われる。その一方で、党内の多様性や自由闊達な議論が失われたとの指摘もある。自ら小選挙区制を主導した後藤田だったが、晩年まで、大きく変質した政治状況を注視し、時に憂えることもあったことを、長男の尚吾氏は覚えている。後藤田の目には不断に行わなければならない改革が、「三合目」で止まったままだと映っていたのだ。

 郵政選挙の1週間後、後藤田は、自らが最後まで手がけることができなかった政治改革と政治の行く末を憂慮しながら、91歳でこの世を去った。死の直前まで、「制度に完成はない」と、私たちが絶えず、不断に政治に向き合う必要性を訴えていた。メモには次のような警句が綴られている。

「制度に絶対のものはない。運用を誤れば成果は上がらない。いや、逆効果さえ生ずるおそれがある」

「国民の皆さんの監視こそが大事だ。政治は、党のため、個々の政治家のためのものではない。国家国民のためにあるのが、政治である」

 後藤田が憂慮した小泉政権の時代から、日本の政治状況はさらに変貌を遂げた。今年で小選挙区制導入から25年。私たち1人1人が主権者として、当事者意識を持って政治に向き合うことを、泉下に眠る後藤田も望んでいるのではないだろうか。

NHKスペシャル「平成史スクープドキュメント」は、2019年4月まで順次放送予定(全8回シリーズの予定)

*1)施行期日を削除した政治改革法は1994年1月29日に成立、内容の一部改正を行った同法は同年3月4日に成立した。