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元SUPER☆GiRLS田中美麗「AKB48も知らないコミュ障の私が本物のアイドルになるまで」

田中美麗さんインタビュー#1――アイドル戦国時代を振り返る

2019/01/26
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AKB48も知らないレベルでアイドルに

――2010年に『avex アイドルオーディション 2010』を受けるわけですが、アイドルになることに興味はなかったんですよね。

田中 まったくなかったです。お芝居のレッスンを受けにいったら「声のテストをしたい」と言われて、指定されたフロアに行くとたくさんの大人がいて。「この紙に歌う曲のタイトルを書いて。エイベックス所属のアーティストでね」と言われたんです。だけど、エイベックスのアーティストが浮かばなくて困っていたら、「エイベックスじゃなくていいから」と言われて新垣結衣さんの曲をチョイスして歌いました。それが1次審査だったんです。

 

――アイドルに詳しくなかったんですか?

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田中 AKB48さんを知らないレベルでした。モーニング娘。さんにハマることもなく、「ミニモニ。のゲームが好きだったな」くらいで。それもあって、2次審査以降は「どうせ受からないんだろうな」と思いながら臨みました。

――それでも審査をクリアしていく。4次審査の合宿ではユニットに分かれて課題曲に挑むなど実践的だったので、モチベーションが低いと乗り越えるのは大変だったと思います。

田中 最初は「私、何やってるんだろう」と思ったこともあったけど、どこかのタイミングでスタッフの方から「アイドルを目指すんじゃなくて、アイドルをステップにしてやりたいことができるように頑張ればいいんじゃないか」と言われて、「アイドルになってみよう」と気持ちが切り替わりました。

 

観客12人以下。ライブが中止になっても「やっぱりな」

――最終審査を勝ち抜いた12人でSUPER☆GiRLSが結成されました(2010年6月)。華々しく発表されましたよね。

田中 スポーツ新聞に大きく載って、朝の番組に取り上げられて、「打倒! AKB48」みたいなことを言って。

――AKB48をよく知らないのに(笑)。

田中 そうです(笑)。

――「すぐに売れる」と思いました?

田中 思いませんよ~。「1年、2年続いたらいいな」くらいで。当時は中学2年生だったけど、「ブームはすぐ終わるはず」と冷めたテンションでしたから(笑)、いまを楽しもうと思ってました。

――実際、a-nation '10愛媛で行われた初ライブは観客が12人以下で、2011年1月に開催を予定していた日本青年館のライブも集客が見込めず中止になりました。

田中 「やっぱりな」と思いました(笑)。その頃は「ただ前に進めばいい」としか考えてなくて、スタッフに言われるまま行動していたので。