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元SUPER☆GiRLS田中美麗「AKB48も知らないコミュ障の私が本物のアイドルになるまで」

田中美麗さんインタビュー#1――アイドル戦国時代を振り返る

2019/01/26

 2010年6月に華々しく結成されたSUPER☆GiRLS(スパガ)は、エイベックス初となるアイドルグループだ。コンセプトは「王道」で、ビジュアルも楽曲も正統派を追求していた。

 彼女たちはイトーヨーカドーのCMに出演。そのCMソング『MAX!乙女心』がスマッシュヒット。2013年には日本武道館でライブを行うなど、スパガはアイドル戦国時代の華として活躍した。

 その中で、アイドルに興味がなく、前に出ることを好まない田中美麗は、初期こそ人気ランキングのワースト3を行き来していた。それでも徐々にファンからの支持を得て、1位、2位を争う人気メンバーとなった。

 しかし、16年7月からコンディションを崩すと、12月から活動を休止。復帰を果たすも、ヘルニアが直接的な原因となって18年3月にグループを卒業した。

 その後、女優としての道を歩み始めた彼女に、アイドル時代の葛藤や卒業後の展望を聞いた。(全2回の1回目/#2へ続く)

元SUPER☆GiRLS田中美麗さん

10歳でエイベックスに入ったときは「モデル志望」だった

――スパガを卒業した田中さんが再出発するというニュースを見て検索したら、お母さんが有名な美容家だと知って驚きました。お母さんはアクティブな方のようですが、田中さんにはそのイメージがないですよね。

田中 お母さんとは180度違います(笑)。でも、小さい頃は私もアクティブで応援団長をやるような子だったんですよ。この業界に入ってから委縮するようになって。

――10歳の時に『avex audition project俳優・タレント・モデルオーディション』(2007年)を受けて、エイベックスに入ったんですよね。

田中 芸能界に興味はなかったけど、大手芸能事務所にスカウトされた時にちゃんとした事務所だと思わなくて断ってしまったことがあって。それが頭の片隅にあって、たまたま開いた雑誌のページにオーディション告知を見つけたので、「落ちる前提で受けてみよう」というノリで応募したら合格したんです。元SKE48の木崎ゆりあ、東京女子流の山邊未夢、モデルの江野沢愛美、女優の山谷花純が同期でした。

 

――最初は「モデル志望」で入ったそうですが。

田中 はい。ただ、レッスンを受けているうちに「モデルより芝居をやったほうが伸びそう」と言われたので、お芝居をメインに切り替えて週7でレッスンに励みました。年に2回合宿があるんですけど、そこで成果が出ない子はクビを切られてしまうんです。

――まだ小学生なのに残酷な場面を目の当たりにして。

田中 そうですね。「あの子、春の合宿にはいたのに冬の合宿にはいないね」ということはよくありました。ただ、私の場合は怖さもあったけど、「落ちたら落ちたでいいか」ってどこか吹っ切れていたんです。