『恐怖の男』という邦題(原題は『恐怖』)から、評者はスターリンやポル・ポトのような話を予想していた。無軌道な傍若無人ぶりと独裁を発揮して、あらゆる邪魔者を冷酷に粛清する恐怖の独裁者。だが各種取材の結果、蛮行に貫徹する狂った論理の片鱗が明らかになるにつれ、なおさらその恐怖は深まる……。
が、この期待は裏切られた。ある一つの事実さえなければ、ここに書かれたトランプ政権の内実は、恐怖どころかバカ殿シリーズ的なギャグとして大笑いしたくなるような代物なのだ。
その事実とはもちろん、この人がホントにアメリカ大統領だということだ。
そう、ここに描かれた人物が世界を牛耳っているのでなければ、本書の主人公には親しみすらおぼえかねない。誰もがどこかで出会っている、口先と勢いだけの無能な上司。人の話を聞かない(聞いても理解できない)、せっかく作ってあげた説明資料を読みもせず、テレビのワイドショーばかり見てそれにいちいち騒ぎ、メンツと私怨にこだわり、仕事はすべて部下に押しつけて、手柄は横取り、失敗は責任逃れに終始。公私混同と身内びいきのオンパレード。
そしてその身内も負けじとギャグを連発してくれる。特にイヴァンカがホワイトハウスを私物化し、何かと「私はファースト・ドーターよ!」とわめきたてるという話は、ネタにしてもできすぎなほど。
さてトランプ政権の内幕を描く本は、邦訳のあるウォルフ『炎と怒り』などすでにいくつかある。本書はそれと決定的にちがうわけではない。従来型のジャーナリズムは、普通はその対象の核心を描き出そうとする。だがトランプには、そもそも核心がない。ならば何を描こうか? この難題には、かのウォーターゲート事件の立役者ウッドワードすら答を出しかねているようだ。彼はその空疎な中心のまわりに蠢(うごめ)く人々を描き出す。トランプの気まぐれによる最悪の事態を何とかさけるべく、面従腹背で必死に動く人々、一方で阿諛追従(あゆついしょう)の三百代言おべっか使いども。だがそれはすべて、ひたすら右往左往の混沌を浮かび上がらせるだけ。
だがそれにしても、どうすればよいものか。トランプ当選以後、彼の支離滅裂な政策行動を見て、実はそれが明確な方向性を持つ計算ずくの巧妙なビジネス的打算であり、経済も一貫したトランプノミクスなのだ、自分はそれが見通せると語る訳知り顔の論者は後を絶たない。が、本書を読むと、それが眉唾だというのもわかる。
本書の読者は世界の経済、軍事、国際関係、その他あらゆる最重要事項が、かくもいい加減に決まっているという事実に改めて愕然とさせられる。我々自身が、すでにこのギャグの一部なのだ。そしてそれこそが本書の本当の「恐怖」ではあるのだ。
Bob Woodward/1943年生まれ。イェール大学卒。ワシントン・ポスト記者。同僚のカール・バーンスタインとともに、ウォーターゲート事件をスクープ。著書は『大統領の陰謀』『ブッシュの戦争』など多数ある。本書原書は発売初週で100万部を突破した。
やまがたひろお/1964年生まれ。評論家・翻訳家。主な訳書にピケティ『21世紀の資本』(共訳)、ワイス他『イスラム国』など。