人間の際限のない欲望が武士を発生させた?
「王臣子孫とは源氏や平氏を名乗った天皇の子孫や、藤原氏など上級貴族の子孫のことです。彼らは平安時代に入ると、どんどん増えたのですが、就ける官職の数が追いつかず、十分な財産も相続できなかったので、都で食いっぱぐれていきます。そこで王臣子孫は地方で始まっていた苛烈な農地の奪い合いに参戦して、自分たちの貴種というブランドや都の権力者とのパイプを地方豪族に提供することで、彼ら経由で都にいながら富を吸い上げていました。しかし、そのうち王臣子孫はさらに増えて、都でも居場所がなくなっていきます。そんな彼らが地方に進出して、地方豪族と血縁を結び、ギブアンドテイクの関係をさらに深めていくうちに出現したのが、王臣子孫をトップに担ぎ、地方豪族が家臣として仕える形態の武士団だと考えられます。つまり、武士を発生させた原動力は人間の際限のない欲望です」
武士を発生させた、もう1つの大きな原因は、朝廷権力の脆弱さだ。
「古代史の研究者は朝廷を中央政府とする律令制国家が厳然としてあり、それが崩壊していったという前提で話を進めますが、史料を読むとそのような強大な国家権力が存在したとは考えられません。地方は朝廷の権威が及ばない、力こそがすべての世界に見えます。ところが、日本が7世紀に唐から輸入した律令制は強大な中央集権を前提とした政治体制でした。中国では秦が軍国主義による富国強兵に邁進し、それによって始皇帝が手にした武力で他国を完全に征圧し、国土をローラーをかけたようにまっさらにし、中央集権的な権力を築いたから、後々まで律令制で統治する素地ができた。でも、日本の天皇や朝廷にはそんな力も達成もありませんでした。だから日本は律令制を輸入したけれども、中国とは社会の構造が違うので、最初から無理だったというだけの話だと思います。それが武士が出現した日本と武士のいない中国の歴史を分かつ、一大要因と言えるでしょう」
この書物を契機に議論が深まることを期待したい。
ももさきゆういちろう/1978年、東京都生まれ。2007年、慶應義塾大学大学院文学研究科後期博士課程単位取得退学、博士(史学)。高千穂大学商学部教授。著書に『平安京はいらなかった』、『中世京都の空間構造と礼節体系』など。