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日大アメフト騒動と甲子園丸刈り問題で考える「さよなら、体育会系」

2019年の論点100

2019/03/17
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 今回の事件には、2つの「非常識」が潜んでいる。一つはプレーの悪質性。そして、もう一つは監督と部員の前時代的な関係性だ。体育会系では昔から「1年生は奴隷、2年生は平民、3年生は貴族、4年生は神様」と呼びならわされ、さらにその上に監督が君臨する。下は上の者に絶対服従が原則であり(美徳とされている節さえある)、自分の意見を主張することはわがままと見なされる。

 女子レスリング界で起きたパワハラ騒動も、そもそもは教え子が恩師のコントロール下からはみ出したことが発端だった。元日本レスリング協会強化本部長の栄和人は、五輪4連覇中の伊調馨が自分の意に反し男子合宿へ参加したことを反抗ととらえ、パワハラを行うようになったとされている。

高校球児はなぜ丸刈りなのか

 上の人間には決して逆らえないという風習が、一般的には理解しがたい行動様式をとどめる要因になっている。この夏の全国高校野球選手権大会は節目の第100回大会ということもあり、例年以上に注目を集めた。高校球界にも、明確な根拠もなく、選手もあえてそれを問いただすわけでもなく、今も続いている「非常識」が存在する。丸刈りだ。

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 100回大会で「脱丸刈り」の高校は出場56校のうち3校のみだった。その中で、伝統的に頭髪が自由なのは「エンジョイベースボール」を掲げる慶應高校である。選手の一人は言った。

「信念があって坊主にしているなら、それはいいと思います。でも、なぜそうさせられているかわからないのであれば、かわいそうですね」

 丸刈りという決まりは高校球界では当たり前であっても、世間一般では特殊に映る。異様なことに理由もなく従ってしまう。いや、もっと言えば、思考が麻痺して、普通と違うということさえ感じられなくなっていく。この延長線上に、日大アメフト事件があったと言ったら言い過ぎだろうか。