「馴れ合い」と聞いて良いイメージを抱く人はいないだろう。勝負の世界において「仲良しこよし」では勝ち上がっていけない――。確かに、その通りだと思う。野球界もしかり、群れることを良しとしない空気感が、何となくある気がする。

「馴れ合いみたいに思われるじゃん」。カメラマンから肩を組むようリクエストされた岩崎優は、苦笑いを浮かべながら言った。並んでいたのは陽川尚将、梅野隆太郎、岩貞祐太の4人。13年ドラフトで阪神へ入団した「同期」の面々で、1月中旬からキャンプ地でもある沖縄・宜野座で汗を流していた。

 後輩の大山悠輔も参加してはいるが、同一チームの同世代が4人も集結して年明けから合同自主トレを行うのは、あまり見たことがない。一方で、先の岩崎が発した言葉ではないが周囲からは、やれ「仲良しグループ」だ、やれ「緩い空気」だと厳しい意見も飛んできそうだ。

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 ただ、4人が集まるに至った経緯を聞けば自分には「馴れ合い」なんて言葉は正直、浮かんでこない。むしろ、横のつながりを強固にして、チームを引っ張る「オレたちが……」の気概がにじむ。

「花の91年組」の岩崎優 ©文藝春秋

かつてのエースが残していった“財産”

 元々、梅野、岩貞の2人は、16年から先輩の能見篤史に弟子入りする形で沖縄を自主トレ拠点にしてきた。今年は、中継ぎに転向した能見が関西での単独トレーニングを決断。同時に、ベテラン左腕は「年齢的にもちょうどあの子らが中心となっていく年代。僕は残って、あの子らは自分でしっかり考えてやれば」と世代交代のバトンを託す意味合いも強調していた。

「自分たちは年齢的にも、チームの中心になっていかないといけない世代。沖縄で良い時間を過ごして、お互い切磋琢磨していければ」。梅野もしっかりとメッセージを受け取って、陽川、岩崎の2人に声をかけた。

「チームの中心になっていかないといけない世代」と語る梅野 ©文藝春秋

 例年、地元の静岡で始動し、寒い甲子園でキャンプインに備えてきた岩崎は「一度、暖かい沖縄でやってみようと思った」と重い腰を上げ、能見からも「行ってみたら」と背中を押されていた。陽川も、昨年10月に右肘を手術したこともあり「肘のことを考えても沖縄で動けるのはプラス」と明かしたように、沖縄に行くそれぞれの理由やタイミングも、うまく合致した。

 1月11日から沖縄入りし、第2クール初日の16日は、報道陣への公開日だった。目立ったのは、インターバルを設けてのポール間走など、厳しいランメニュー。それらは、約10年間、沖縄で自主トレしてきた能見がシーズンへの準備を進める中で取り入れてきたもの。かつてのエースが残していった“財産”を、次代を担う選手たちが受け継いでいた。