富士山が比類ないのは、標高が日本で一番なのにくわえて、独立峰であることも関係している。見渡すかぎり比べるものがないゆえ、いっそう雄壮で偉大に見えるのだ。
日本美術における富士山のような存在といえば、そう、葛飾北斎だ。奇しくも富士山のイメージを決定づけている浮世絵版画《神奈川沖浪裏》や《凱風快晴》の作者である。北斎の画業の全貌を見せんとする意欲的な展覧会が開催中だ。森アーツセンターギャラリーでの「新・北斎展 HOKUSAI UPDATED」。
90歳まで生きた北斎の画業を時代順に
北斎の画業の全体像を示すというのは、言うほどたやすいことじゃない。何しろ北斎は10代で筆をとって以来、作風や手法を次々と変えながら(ついでにペンネームも住まいもコロコロと変えた)、90歳で没するまで休むことなく描き続けた。残した作品は膨大になる。
今展では北斎の画業を6期に分けて編年体で紹介している。順に並べてみれば、江戸で勢力を持った勝川派絵師として活動していた「春朗期」(20~35歳ごろ)、派を離れ独立して作風を飛躍的に広くした「宗理期」(36~46歳ごろ)、読本挿絵に力を入れた「葛飾北斎期」(46~50歳ごろ)、絵手本をたくさん残した「戴斗期」(51~60歳ごろ)、錦絵を盛んに制作している「為一期」(61~74歳ごろ)、肉筆画が多くなった「画狂老人卍期」(75~90歳ごろ)である。
各期のタイトルは、その時代に北斎が用いていた画号からとってある。彼が「葛飾北斎」を名乗っていた時期はじつはかなり短くて、そのときどきでバリエーションに富んだ名を掲げている。こうして並べてみれば、さすがネーミングセンスもなかなかふるっているではないか。