取材のあとで(聞き手・稲泉連)
井原慶子さんのレーシングドライバーとしての歩みは、文字通り筋金入りとも言えるものだ。
モータースポーツには多くの資金が必要だけれど、学生時代にはアルバイトをしてそれを貯め、レース参戦用のフェラーリを買ったという。
そして、ほとんど英語も喋れないままにイギリスへ単身で渡り、全くのゼロからキャリアを作っていったその行動力たるや……。
日本人であること、女性レーサーであること――ヨーロッパ社会の中で二重三重のマイノリティであった彼女は、男ばかりのレースの世界において、自らの居場所を自らの力で作り上げていった。
その様子はときに無謀と紙一重、まさに道なき道を突き進むもので、自らの「越境の物語」を淡々と語る彼女にインタビューをしながら、ぼくは「いったいこの人のどこにそんな力が秘められているのだろう」という驚きを感じ続けた。
また、イギリスの片田舎のパブの屋根裏部屋から始まる井原さんの日々は、ヨーロッパの車やレース文化の奥深さ、裾野の広さを感じさせてくれるものでもあった。
「まだ日本にいた25歳のときは、女がレースをするというだけでバカにされたものです。たとえレースで勝っても、嫉妬されたりね。ヨーロッパに渡っていちばん驚いたのは、最初は『アジア人の女だ。うわあ、こりゃダメだ』という顔をしているエンジニアやメカニックが、結果を出すと途端に認めてくれたこと。そこに社会の成熟を感じたんです」
彼女はイギリスでの生活で差別を受けた経験もあるが、一方でヨーロッパのレース文化に深く入り込むうちに、多様性に対する日本とは異なる雰囲気や寛容さも実感した。それは現在、働き方改革や女性活躍推進の分野でも活動し、日産自動車の独立社外取締役でもある自身の原点になったようだ。まさに「越境」による様々な体験が、レーサーとしてのキャリアだけではなく、井原さんの人生そのものを切り拓いたのだ。
いはらけいこ/1973(昭和40八)年岐阜県生まれ。法政大学卒。98年、F1ミスベネトン選出。99年にフェラーリ・チャレンジレースでレースデビュー。女性レーシングドライバーの先駆者として以降も欧州、アジアの各レースでも活躍している。2018年、日産自動車の独立社外取締役に就任。