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「この旅がなければ北極で死んでいたかも」 探検家・角幡唯介の『極夜行前』

「この旅がなければ北極で死んでいたかも」 探検家・角幡唯介の『極夜行前』

『極夜行』に至るまでの物語

note

やんなくてもいいことをやっている理由

――何か情報を得るためには必ずプロセスがある。ネットですぐに答えが見つかる今こそ、その裏には答えを導くために時間と労力を割いている誰かがいることを知らなくてはいけない、ということを角幡さんは言いますよね。

角幡 僕がやっていることは、無駄が多い。わざわざやんなくてもいいことをやっているわけです。橇だって、木よりプラスチックのほうが軽くて抵抗も少ないから合理的なのはまちがいない。地元の人もそう言うし。でも自分で作ったものを使って壊れたら自分の責任になる。道具を作るということも、自分の行為を自分の力で引き受けるという意味があるわけです。天測にしても、GPSを使ったら極夜の本質が分からなくなるというのもあるけど、自分が主体的に北極という土地について、つまり行為する対象について志考する機会がなくなるということなんです。GPSは正しいデータを与えられる。ひたすら受け身で、こちらから外側の世界を認識しようとする方向性がまったくないわけです。それに対して地図を読み取って行動すると、周りの地形を読みとろうとする外の世界に対する主体的な働きかけが生じる。そしてその結果が自分に帰ってきてそれを引き受ける。時間とプロセスをかけるというのは自分が手をつっこんで関わることですよね。そこに僕は一番意味があるような気がします。今は関わる機会がなくなって便利になっていっている。便利になるというのは時間とプロセスを省略することにつながります。

――そうすると何を得られないということでしょうか。

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角幡 自分の行為をしなくなるということ。行為をしないということは外の世界との関わりがなくなるということ。自分が行為者じゃなくなるということ。

©角幡唯介