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過剰で漫画的な奇想の作品群

 彼らを奇想の画家と称したのは、美術史家の辻惟雄だった。「江戸のアヴァンギャルド」という題目に沿って美術誌に寄稿した原稿をもとに、『奇想の系譜』と題する本を編んだのは1970年のこと。これが世評を得て、半世紀ものあいだ読み継がれる名著となった。

 美術界への影響も大きく、取り上げた絵師たちはこの本をきっかけに再評価が進んだ。とりわけ伊藤若冲は、玄人受けするマイナーな絵師だったのが、いまやすっかり日本美術の代表格である。

 大出世した絵師たちの作品を一堂に並べ、展観しようというのが今展だ。鈴木其一と白隠慧鶴は『奇想の系譜』に取り上げられていなかったが、山下裕二氏が今展を監修するにあたって、新たに奇想の系譜に抜擢したかたち。

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鈴木其一 《百鳥百獣図》 絹本着色 双幅 各138.0×70.7cm 天保14年(1843) 米国・キャサリン&トーマス・エドソンコレクション
 

 会場を通覧すると、やはり各絵師が放散する「過剰さ」にあてられてしまう。外界を正確に描写しようというよりは、表現したいポイントを絞り込んでとことん強調するのが共通の特長だ。それが描き手の強烈な個性として、観る側にひしひしと伝わってくる。

白隠慧鶴 《半身達磨図》 紙本着色 一幅 192.0×112.0cm 大分・萬壽寺

 過剰に何かを強調しようとすると、かたちや色はデフォルメされていって、表現全体がひじょうにわかりやすいものとなる。現代の私たちにもすんなり受け入れられるのはそれゆえだ。多くの作品が漫画的に見えるのもまたたしか。漫画の絵はデフォルメを基礎とした表現だから、奇想の画家たちと親和性が高いのは当然だ。漫画雑誌の表紙やコマの中に、彼らの絵がひっそり収まっていたとしても、何ら違和感はないはずである。

 歴史的な名画だからといって、遠いところにある崇高な存在なのだろうと考える必要はない。どんな作品だって、かつてだれかが私たちと同じようなことを考え、日々の生活を営みながら描いたものにすぎないのだと実感する。

 出会ってまずは驚嘆し、眺めているうちに共感の情が湧いてくる。奇想の系譜の作品群には、まこと味わうところがたっぷりと含まれている。