怖い絵』『名画の謎』に続き、中野京子さんが次に挑むテーマは「運命の絵」。名画に潜む鳥肌ものの逆転ドラマや、画家の生き方を変えた1枚を読み解き、古今東西<誰もみな、運命から逃れられない>という現実をあぶりだす。この『中野京子と読み解く 運命の絵 もう逃れられない』よりナポレオンの人生と、それにともなう世界史までも変えた「運命の絵」を特別公開。
※(全2回の1回目/後編へ続く)

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「乞食(こじき)軍団」と揶揄されていたフランス兵

「フランス革命の落とし子」ナポレオン・ボナパルトは、トゥーロン攻囲の戦功などにより、1796年3月、イタリア遠征軍総指揮官に任命された。当時の北イタリア諸国はオーストリア支配下にあり、国境を接するフランスは何としてもこの脅威を取り除きたかったのだ。ナポレオンの戦略は、重要地点を見定めてそこへ兵力を集中させ、速攻即勝するというものだった。

 ニースへ到着した26歳のナポレオンは、「乞食軍団」とまで揶揄(やゆ)されていたみすぼらしいフランス兵に向かいこう檄(げき)を飛ばしたという。君らは裸で食料もない。だが私はこの世でもっとも豊かな平原へ連れてゆく。君らはその地で名誉と栄光と富を得るだろう!

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 だがみすぼらしいという意味では、新任のこの最高司令官も似たりよったりだったらしい。1級資料たる『ナポレオン戦線従軍記』(フランソワ・ヴィゴ=ルシヨン)には、この檄を飛ばした1カ月後のモンテノッテの戦場で、ナポレオンを初めて見た兵士ルシヨンの正直な感想が記されている。

「貧弱」とまで評された26歳のナポレオン

「最高司令官だ、と口から口へ伝えられ私の耳にも達したが、私自身も信じられない気持だった。容貌、態度、身なりのいずれをとってもわれわれを惹きつけるものがない。当時のブオナパルテ(ボナパルトのイタリア語発音)について私が見たところを記すと以下の通りである。小柄、貧弱、蒼白な顔、大きな黒い目、痩せこけた頬、こめかみから肩まで垂れ下がる俗にいう犬の耳という長い髪」

 当時の(というより当時も)フランスの将軍は軍事能力より肉体的美しさが優先されていたのだ。ルシヨンは続けて曰く、「要するに、イタリア遠征軍の指揮を執り始めた頃のブオナパルテは、だれからも好意ある目で見られていなかった」(瀧川好庸訳〔中公文庫〕)。

「貧弱」なこの司令官が、勝利に次ぐ勝利によってたちまち皆の心を鷲掴みにしてゆく過程は、人も知るとおりだ。

野心たぎらす若き画家だから見えた、英雄のオーラ

 同年、フランス人画家アントワーヌ=ジャン・グロはイタリア滞在中だった。ローマ賞に応募したものの落選。翌年のチャレンジまで待ちきれずに私費でやってきて、好きなルーベンス作品の研究・模写に励んでいた。新古典派の雄ルイ・ダヴィッドの門下だが心情的にはロマン派で、無意識裡に英雄を求めていたから、ナポレオンの快進撃に熱狂した。

 その気持ちが通じてか、ナポレオンの妻ジョゼフィーヌの知遇(ちぐう)を得て、彼の肖像画を描く許可が下りた。いつものことだがナポレオンがポーズを取る時間はわずかだ。顔をすばやくスケッチしただけで全体を仕上げた。それが出世作、『アルコレ橋のナポレオン』である。