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誰をも吸引する魅力にあふれたナポレオン

 アルコレはヴェローナ県の沼沢地にある村で、オーストリア軍が陣取っていた。フランス軍は川を隔てて対峙したが、兵力は2万前後とほぼ互角。だが勝敗は3日で決着する。劇的勝利に関しては、こんなエピソードが残された――攻めあぐねたナポレオンは自ら軍旗を握り、少数の部下とともに敵弾降り注ぐアルコレ橋を突進。その勇気に鼓舞(こぶ)された兵士らも一斉に後に続いたため、オーストリア軍はちりぢりに敗走した。

 グロが描いたのはまさにそのシーンだ。風に長髪をなびかせたナポレオンは、ルシヨンが見たとおり蒼白い肌をして頬が削(そ)げている。とはいえ引き締まった表情と決然たる眼差しには力が漲(みなぎ)り、「惹きつけるものがない」どころか、誰をも吸引する魅力にあふれている。賛美者たるグロが積極的に美化したのは無論のこと(背の低さもわからないようにしている)、ナポレオン本人もイタリア遠征開始から半年を経て自信をつけ、それがオーラとなって全身を輝かせていたのかもしれない。

アントワーヌ=ジャン・グロ『アルコレ橋のナポレオン』 1796年、油彩、130×94cm ヴェルサイユ宮殿美術館(フランス) 写真提供/ユニフォトプレス

 背景は硝煙(しょうえん)がたなびくばかりで、敵の姿もなければ川や橋の描写もない。身をひねったナポレオンが、後方にいる兵を目で促し、橋を渡ろうとする直前だ。赤白青の巨大な軍旗を左手で軽々と持ち、右手(この右手の描写がどうにも奇妙で、解剖学的にあり得ないように見える)には抜刀(ばっとう)した剣を握る。刃に「ボナパルト、イタリア遠征軍」と銘が刻まれている。

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 軍服は豪華そのもので、まるで仕立て下ろしのようだ。濃紺の上着は金糸の刺繍をほどこした赤い立襟付き。中に白シャツと防寒用の黒いチーフ。腰には四角いバックルの付いた金襴(きんらん)のベルト。その下に赤と白のサッシュを巻き、横でリボン結びしている。ここにも金色の房。もちろんボタンも金。

 まさに若き軍神の誕生、そして有能な新進画家の誕生だ。さらにはアルコレ橋伝説の完成とも言えようか。

人々の心を動かす名画は、華麗に嘘をつく

 現実には――当事者たちの証言及びこの会戦の詳細な版画によれば――ナポレオンは軍旗を振ったこともなく、先頭に立つどころか橋を渡ってさえいなかった。

 当然ではないか。目の前に敵の砲兵隊が居並ぶ狭い橋を進むのは、撃ち殺してくださいと言わんばかりだ。命を取られぬまでも負傷しただけで、自軍は腰砕けになる。よほど追いつめられていない限り、総大将のやることではない。そこでナポレオンがしたのは、4キロほど先に仮設橋を架して軍を渡らせ、戦況を一変させたということらしい。

 だがナポレオンにとって、またグロにとって、何より大事だったのはイメージである。連戦連勝の若獅子(わかじし)としての、ひいてはフランスを導く希望の星としてのナポレオンのイメージが、国民の胸に突き刺さることこそ肝心だった。世はロマン主義へと向かっており、人々は新たな英雄と、その事績を謳いあげる感動的な叙事詩を求めていた、とりわけ視覚芸術による叙事詩を。

『アルコレ橋のナポレオン』は何枚ものヴァージョンが描かれ、版画に制作されて大量に出回った。グロはナポレオンのお眼鏡にかなったのだ。以降、ダヴィッドやジェラールたち同様、ナポレオンのプロパガンダ絵画を多作してゆくことになる。

(全2回の1回目/後編へ続く)

(『中野京子と読み解く 運命の絵 もう逃れられない』P.138「若き英雄の誕生」より転載)

中野京子と読み解く 運命の絵

中野 京子

文藝春秋

2017年3月10日 発売