黒澤明、庵野秀明も使った「音と画の対位法」
実は、このように映像と音楽の意味的調和を崩す手法は、実際の映像作品の中でも取り入れられている。
例えば、黒澤明監督の「野良犬」という映画作品では、ピストルを構えた犯人と刑事が森の中でにらみ合う緊迫したシーンで、少女が弾くピアノの練習曲が流れる。さらに、犯人を取り押さえた後、刑事が犯人と野原に倒れこみ、息を切らせているシーンでは、童達が歌う「ちょうちょ」が流れる。
このような、映像と音楽の意味的不調和を故意に取り入れる手法を、西村は「音と画の対位法」と名付けている[3]。藤山らは、これらのシーンに意味的不調和が取り入れられたことによって、作品の複雑さや面白さが増し総合的な評価が高くなったことを、実験によって証明している[4]。
別の例を挙げると、庵野秀明監督の「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」のラストに現れる、エヴァ初号機と使徒の長い戦闘シーンでは、突然、少女がピアノ伴奏で独唱する「翼をください」が流れてきて、違和感を感じる。
しかしやがて、音楽の伴奏にドラムやベースが入り、独唱から大勢の少女達のユニゾン歌唱に代わり、管楽器や弦楽器も入って盛り上がると、ついには映像との違和感が全くなくなる。これは一貫して覚醒した映像に対して、沈静した音楽が流れて最初は不調和なのだが、だんだんと音楽の覚醒度が上昇してやがて調和になるという、「音と画の対位法の進化形」ともいえる手法である。
われわれの研究室では、実際にこの「音と画の対位法の進化形」によって、総合的な評価が高くなったことを実験で示している[5]。以上のように、意味的調和をわざと崩すことによって、ありきたりな感じを避け、プラスの効果を得ることもできるのだ。
「新宝島」が生み出す、絶妙な違和感
さて、ここで本題に戻ろう。「新宝島」のテンポとキーボードの音色のおかげでキレッキレ感が演出された大きな動きのダンスや運動の映像は、図2に示すように、2次元感情平面の中で、快さ、覚醒度ともに高い位置にあると考えられる。
一方で、「新宝島」は短調で、昭和時代の歌謡曲を彷彿させる、ちょっと切ない曲調の楽曲である。歌詞の内容もやはりちょっと切ない。2次元感情平面の中では、少し不快で、少し沈静な位置にあるといえよう。このような映像と音楽の意味的不調和によって、「新宝島」を用いた音ハメ動画はクスッと笑えるものになるのだ。
それでは、もっと不快でもっと沈静した音楽を使うとどうなるだろうか?多分、キレッキレの映像とのギャップが大きすぎて、大きな違和感が感じられ、笑えないものになってしまうだろう。映画のような長尺の作品なら、このような大きな違和感を上手に取り入れることができるかもしれないが、音ハメ動画では、大きな違和感を他の場面で緩和することができない。絶妙に切ない感情的性質という点でも、そう、「新宝島」はいいところをついているのだ。
結論として、「新宝島」は、大きな動きのダンスや運動映像と合わせたときに、構造的調和をもたらし、意味的調和を崩す効果を持った楽曲だった。だから、音ハメ動画に「新宝島」がよく使われ、視聴者達をクスッと笑わせたのだ。みなさんも、158 BPMぐらいのテンポで、ちょっと切ない楽曲を探してみてはいかがだろうか?
参考文献
[1]Russell, R. A. (1980). A circumplex model of affect, Journal of Personality and Social Psychology, 39, 1161-1178.
[2]山田真司(2010). 音楽はなぜ感情に訴えるのか?, 日本音響学会誌 66, 473-478.
[3]西村雄一郎(1998). 黒澤明 音と映像 (立風書房, 東京).
[4]藤山沙紀, 江間琴音, 岩宮眞一郎(2013). 黒澤明の映像作品における音楽と映像を対比させた手法の効果, 日本音響学会誌 69, 387-396.
[5]柳田理宇, 山田真司(2015). ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破に見る「音と画の対位法」の進化形, 日本音響学会音楽音響研究会資料, MA2016-61, 11-16.