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“日本一腰の低いJクラブ社長”森島寛晃「2カ月で名刺1000枚配りましたわ」

セレッソ大阪新社長・森島寛晃インタビュー#1

2019/03/15
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社長就任の打診を一度断った理由

――就任の経緯から聞かせてください。昨年10月に社長就任の打診を受けて、一度はお断りになったとか。

「現役時代、ヤンマー、セレッソ大阪ひと筋でプレーして、引退してからもずっとこのクラブにいます。アンバサダーのときは現場を離れて行政や企業の方とかかわることが多くなって、スクールのほうでは子供たちと触れ合うことも含めて新しい経験をさせてもらった。

 でもそこから現場に近いチーム統括部に入って3年間。現場に戻っていくポジションやなと思っていたし、もちろん将来的にはセレッソで監督になることを目標にしていましたから……。もちろん光栄ですし、有難いお話ですよ。でもサッカーばかり見てきた立場としては(社長と言われても)全然ピンと来ないし、チームをしっかりコントロールしていく仕事にやり甲斐も感じていたので最初は丁重にお断りしたんです」

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――しかし1カ月ほど話し合いを続けていくなかで、引き受けることになりました。

「だいぶ悩みましたよ、そりゃあ。でも何回か話をして(自分に対する)会社の思いというのにも強いものを感じましたし、いろんな方にも相談したうえで気持ちを(就任の方向に)固めていきました。やるって決めたら、やるしかないわけですから」

森島さんの社長室でお話を聞いた

――奥さまの反応はどうでしたか?

「(社長の)打診は、かなりびっくりしていましたよ。僕が監督になることを楽しみにしていたところもありましたから。でも僕が決断すると思っていたのか、腹が据わっていた感じはありましたね」

――社長は「クラブ全体の監督」と捉えることもできるんじゃないかと思うのですが。

「いやいや、やっぱり財政、事業などすべてをひっくるめて、見ていかなきゃいけないんで、いろんなことを勉強していく必要があります。ただ、急にやれと言われてもやれるもんじゃない。全社員の力を借りていきながら、やっていくということ。社員のみなさんが仕事をやりやすいように、僕が邪魔にならないようにしないとダメですわ(笑)」