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「そば職人をやっていたという感覚はあまりありません」

 ラー油を使うようなそばを食べることができる店は「港屋」以外にはなかったと思う。創業当時、そば愛好家の間でも驚きや好奇心をもって店を知り、食べに行って、その味に驚嘆した。そして、あっというまに超人気店になり、お客さまから絶大な支持をされる様になった。一方、そばの作り手の側では、「港屋」の登場はさらに衝撃的な出来事だった様で、その後、港屋インスパイアという店群が数多く登場し、他業界でも辛過ぎないラー油の登場やスタイリッシュな立ち食いスタイルを模倣し現在に至っている。

――「港屋」がそばの世界に与えたインパクトについてはどうお考えですか

菊地 まず、自分はそば職人をやっていたという感覚はあまりありません。「菊地がそば屋を表現すると港屋だよ」という事だと思います。26歳で脱サラし、1年間スタジオにこもってましたね。ひとりで。どんな空間で? どんな食材で? 欲しい物はゼロベースで作り……という訳です。全部、自分でやらないと気が済まないんでしょうね。

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温かい鶏そばは自家製のラー油との相性が抜群だった ©文藝春秋

「港屋」はサロンみたいな雰囲気もあった

――「港屋」は超人気店でしたし、愛されていた店だったんですね。

菊地 毎日の様にいらしてくださるお客さまも沢山おりました。また毎日の様に素敵なお心遣いも沢山頂戴致しました。スタッフの女の子にも優しくしてくださって。いつも長い列になり、みなさまにも周辺の方々にもご迷惑をお掛け致しましたが、「港屋」はそんなサロンみたいな雰囲気もあったんです。

――「港屋ファン」のみなさんにメッセージをお願いします。

菊地 みなさま、「港屋」を愛してくださいまして心よりありがとうございました。「港屋」はみなさまが開いてくださった文化の扉ですし、その文化はみなさまのものです。これからも新しい文化の扉の鍵をご用意致しますので、みなさまで開いてくださいね。

――そばや食の作り手の人たちにもメッセージをお願いします

菊地 そばなんて難しく考えず自由で良いと思います。ただし、自由という発想が難しい。もっとすごい人が現れ、さらにすごい人が現れる。楽しみですね。

「寿命」を迎えた店内で。まるで美術館の様な空間だった