2019年2月4日に東京虎ノ門の超人気店「港屋」は閉店した。それは突然の出来事であった。そして、店の入口にはこんな挨拶文が残されていた。
<みなさまへ
どうやら寿命が来た様です。
沢山の沢山のみなさまに、溢れるばかりの溢れるばかりの愛を頂戴致しまして、心よりありがとうございました。
寂しすぎて、お別れの言葉さえお伝え出来なかった事、ごめんなさい。
感謝の薔薇に代えて
港屋 菊地剛志 従業員一同>
駆け抜けた17年間だった
港屋は2002年7月に幕が上がり、そして、2019年2月にその幕を下ろした。駆け抜けた17年間。
日本そば界のみならず食文化を近年、大きく変えた店といえば「港屋」をおいてないと思う。「港屋」は独自のスタイルを提案し、そば屋そのもののイメージを一新させた。
幕を下ろしてから1か月が過ぎた頃、菊地さんにお話を聞く機会を得た。3月11日の午後3時、あの虎ノ門の「港屋」で2年ぶりの再会となった。いつもの笑顔で出迎えてくれた菊地さんは、どちらかというと以前にもましてお元気そうな様子。店内は、ほんのりと甘い、「港屋」の出汁の移り香がした。
もう自分が現場に立って「港屋」をやるという事はない
――17年を終えた今の実感や感想を聞かせてください。
菊地 本懐という感じです。最初の頃は、お客さまから「なんでラー油を入れるの?」「椅子はないの?」なんてご質問を頂きました。でも、虎ノ門のお客さまはアンテナ(感性)が高いんですよ。そしてすぐに「港屋」は食文化のひとつとして認知して頂ける様になりました。当時の自分を今の自分が素材として思うと、随分と一芸に秀でた若者だな。って思いますね(笑)。
――最後の挨拶文に「寿命」という言葉を使われていました。
菊地 「閉店」という言葉は使いたくないんです。「寿命」すなわち「港屋が他界する」それです。人はいつ死ぬかわからない。お店も同様です。お客さまは、溢れるばかりの溢れるばかりの愛をお持ちになり、いらしてくださっていたと感じております。つまり「命」があったんですね。
――ということは、「港屋」を再開することはないということですか?
菊地 僕は虎ノ門という土地をすごく愛しておりました。余談ですが、僕は寅年、寅月、寅日、生まれなんです(笑)。「港屋」は虎ノ門以外考えられない。寿命がきた訳ですから、自分が現場に立って「港屋」をやるという事はないですし、人生に例えて店生と言うならば、これが店生なのではないかと思っております。
――現在はどんなことをされているのですか。
菊地 株式会社KIKUCHI Art Galleryの代表を致しております。菊地剛志の感性で表現したい商品を、ディレクションする仕事ですね。僕は60歳で死ぬ可能性もあると思ってます。あと15年と考えると沢山やりたい事がありますからね。