「イマ」というほうき星=諸行無常
〈「イマ」という ほうき星 君と二人追いかけていた
(中略)
「イマ」という ほうき星 今も一人追いかけている
(中略)
「イマ」という ほうき星 君と二人追いかけている〉
結末だけではなく、曲中に何度も登場するフレーズ「『イマ』というほうき星」。
藤くんは、この言葉で一体何を表現しようとしているのだろう。ここで、紐解きたいのが、藤くんがこれまで何度も唄にしてきた「今」についてである。
〈ボクはイマをサケブよ〉
(『ガラスのブルース』作詞:藤原基央)
〈そこに君が居なかった事 分かち合えない遠い日の事
こんな当然を思うだけで すぐに景色が滲むよ
(中略)
そこに僕が居なかった事 今は側に居られる事
こんな当然を思うだけで 世界中が輝くよ〉
(『R.I.P.』作詞:藤原基央)
「僕」はそんな「今」をずっと探し続けている
藤くんの唄う「今」は決して単なる時間的な観念ではなく、もしかしたら存在したかもしれないし、存在しなかったかもしれない、そんな脆くも尊い「今」なのである。
すなわち「あれがあったからこれがある」そんな因果で繋がった過去と地続きの「今」を唄っているのだ。これは仏教では「諸行無常」という言葉で表現される世界観である。藤くんは、そんな諸行無常で生きる「今」を「『イマ』というほうき星」という言葉で表現しているのだと推測している。
ほうき星の光が見えた時、確かに今、目の前で光っているような感覚を覚える。しかし、星そのものは何光年と遥か遠い先で光っており、光が地球に届くまでには時差が生じている。僕たちが見ているのは、現在の光ではないのだ。
とはいえ、今光が見えているのは、間違いなく何秒か前に星が光を放っていたという事実があるからに他ならない。そして、そんなほうき星の光も瞬く間に夜空に消えてしまうのである。
すなわち、「『イマ』というほうき星」とは、過去から現在へ届く一瞬の彗星の光のように、「あれがあるから今がある」という因果でつながった一瞬一瞬の「今」を表現しているのではないだろうか。
と考えれば、物語の「僕」はそんな「今」をずっと探し続けていることになる。
「僕」が「明日が僕らを呼んだって 返事もろくにしない」理由は、不確かな未来ではなく「今」を見つめたいからとすれば、話の筋も通る。