「もはや、お経の代わりに『天体観測』を唱えたい」
僧侶の僕がそう言いたいくらい、「BUMP OF CHICKEN」の曲に毎日心を救われている。そんなBUMP OF CHICKENの代表曲『天体観測』(2001年)は、メジャーでありながら実は謎の多い異質な曲だ。
その理由は「歌詞」にある。
〈見えないモノを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ
静寂を切り裂いて いくつも声が生まれたよ〉
(『天体観測』作詞:藤原基央/以下、特に断りがない場合には歌詞の引用は『天体観測』より)
その歌詞は、様々な解釈がなされていて、例えば「離ればなれになった幼なじみへの曲」という人もいれば、「僕と君のラブソング」だという人もいる。思えば、高校時代に現代文の授業で歌詞がプリントアウトして配られ、その解釈を課題にされたこともあった。『天体観測』には解釈の余白が多く、文学的な魅力があるのだ。
はたしてBUMPが望遠鏡で覗くものとは何なのだろう。
僧侶である僕が導いたのは『天体観測』は「悟りを目指す物語」なのではないかということだ。
藤くんは「野生のブッダ」だ
というのも、僕はボーカルで楽曲のほとんどの作詞作曲を担当している藤原基央さん(リスペクトを込めて「藤くん」と呼ぶ)を「野生のブッダ」だと思っているからである。
学生時代からBUMPを聴いていた僕にとって、BUMP OF CHICKENは仏教よりも先にあったものだ。
その後、仏教を知るようになり、様々なブッダの言葉に触れていく中で、経験したのは「あれ? ブッダ、藤くんと同じこと言ってない?」と思う瞬間だった。普通の僧侶は逆だと思う。
もちろん、どれだけリサーチしてみても「藤くんが仏教に触れた」という情報は見つからない。ということは、藤くんは仏教を意識せずに、ブッダと同じ「悟りの境地」に至っている。すなわち、藤くんは「自然発生的なブッダ」なのではないかと僕は思っているのだ(「藤くん=野生のブッダ」の分析については、過去の記事を参照してほしい)。
『天体観測』は「僕」の成長物語である
そんな野生のブッダこと、藤くんが唄う『天体観測』には、「(1)諸行無常 (2)諸法無我 (3)涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」の3つの仏教の奥義(三法印)が描かれているのではないか、と僕は考えた。
注目ポイントは、『天体観測』が過去から現在へと時系列が進んでいくことから、「僕」の成長物語であるということ。
ちなみに、藤くんは『天体観測』についてインタビューで「答えがないところに答えを見つけようとする歌」と言っている。中でも、フォーカスを絞りたいのは、歌詞の最後、つまり物語の結末であるこのフレーズである。
〈始めようか 天体観測 二分後に君が来なくとも
「イマ」という ほうき星 君と二人追いかけている〉
この結末に「僕」の成長が一番現れているのである。
はたして「僕」は物語の中で、どのような答えを知り、どのように成長していったのだろうか?
※読み進める前に、一度歌詞の全文に目を通しておいた方が理解しやすいと思います