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「本当のもの」を見つけながら「僕」が涅槃に至るまで

 繰り返しになるが、この行為は、時計で表示されるような時間的な観念を超え、目に見える物理的な存在を超えた、様々な過去の因果でつながった「今」という時間のあり方(諸行無常)や、他者がいるからこそ自分がいるという存在のあり方(諸法無我)に「僕」がたどり着いたことを表現している。

 言い方を変えれば、「僕」が迷いの世界から「諸法無我」や「諸行無常」という仏教の奥義を自覚し、ブッダと同じ境地に至ったということである。

 仏教では、悟りに至ることを「涅槃寂静」といって、それが修行者の最終目標であるとされる。

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 つまり、『天体観測』とは、思い通りにならない迷いの世界で、望遠鏡という「禅」を通して、諸行無常や諸法無我の境地から見える「本当のもの」を見つけながら「僕」が涅槃に至るまでの成長物語なのである。

 言い換えるなら、「僕」が藤原基央(仏)になるまでの物語といえるだろうか。

 これが藤くんの言う「答えがないところに答えを見つけようとする歌」だと僕は思うのである。

3つの奥義が一つの物語の中で表現されている

 藤くんの思想を紐解きながら、ブッダの言葉を借りて『天体観測』の意味を解釈してきた。

 もちろん、『天体観測』が仏教そのものをテーマにしているわけではない。藤くんの生きている世界観を、この世に存在する言語で表現するならば、仏教だということだ。本当に「僕」が見えないモノを見ようとして座禅を組んでいたとしたら、それは絶対に嫌だ。

 とはいえ、僧侶視点からすると『天体観測』という曲は「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の3つの奥義が「文学」として一つの物語の中で表現されていて、BUMPファンの僧侶としてはもう感無量である。

 もはや、お経の代わりに『天体観測』を唱えたい。南無天体観測。南無オーイエーアハンである。

『天体観測』のスペシャルMV(BUMP OF CHICKEN公式チャンネルより)

 だがしかし、こんな解釈も一つの見え方にすぎないことを理解していただきたい。当然だけど、曲の解釈は人それぞれに委ねられているし、BUMPのメンバーもそれを望んでいる。

 そう言えば、自分たちの音楽について、藤くんはこのように語っていた。

「(BUMP OF CHICKENの音楽は)たとえばその曲と聴く人の間に10歩距離があったとすると、そのうちの5歩分しか近づいてこないような音楽。残りの5歩分は、聴く人のほうが近づいていかなきゃいけない。そして、そうやって5歩分近づいていくということに意味がある音楽だと思うんです」(『MUSICA』2011年1月号、p.35)

 僕たちがBUMP OF CHICKENの音楽を聴いて感じる宇宙のような世界。

 ああでもないこうでもないと、自分の感受性を頼りに宇宙を泳いだその5歩先に、きっと彼らが待っていてくれている気がするのだ。オーイエー涅槃。