恥ずかしい想いをしてでも何かを伝えたい
彼の歌声は、話し声とは随分と違う。丸味があり、高音域が伸びる、独特な声で、旋律を歌い上げていく。楽曲中盤から、バンドによるアンサンブルとなり、ドラムがタイトなリズムを刻み、ベースが丁寧に低音を響かせ、リードギターが主旋律に彩りを加えていく。先ほど日没後の代々木公園に見たような、淡い紫色を基調とした照明や、中音域が豊かな音響は、このバンドに合っている。その後に展開の速い楽曲が続き、次第に会場は熱気に包まれていった。
略歴を見る限り、彼の音楽活動は、順風満帆ではなかったようだ。この日のMCにおいても、デビュー直前にかなり荒んだ時期があったと語っていた。どこかの取材で、怒りが原動力になるとも語っている。しかしライブを観ていると、伝えることに対する純粋さを感じる。恥ずかしい想いをしてでも何かを伝えたい、途中、彼は舞台上で確かそのようなことを述べた。
そしてライブが終盤に近づくに連れ、私は音楽の中にいる彼を、ある種の羨望の目で見ていた。会場では3000人余りの観客が、一心に舞台を見つめている。殆ど涙目の女の子もいる。古来より音楽は力を持ち、物語もまた同等の力を持つが、しかし人への作用機序は随分と異なり、彼は私には叶わなかった〈音楽の側〉から、他者に何かを伝えることができるのだ。
舞台を降りた尾崎君は、気さくな彼に戻っていた
さて、終幕後、私は担当編集のS水君と共に、楽屋へと向かった。前述したが、S水君は尾崎君の担当でもある。S水君はファッションへの造詣が深く、この日は「アナーキー・イン・ザ・U.K.」をリリースした頃のジョン・ライドンを彷彿させるような服装をしており、出演者より派手じゃねぇか、と私は思った。ちなみに私は例の如く、黒のパーカーに黒のパンツに黒のスニーカーと、カラスの如く全身が漆黒であった。私とS水君が並ぶと、第三者は大変近づきがたいらしい。
舞台を降りた尾崎君は、先日の贈呈式と同じ、気さくな彼に戻っていた。彼はS水君の服装を見て、今までで一番凄い、と苦笑していた。それから私を見て、ぜひ今度ゆっくりお話しましょう、と述べた。いいだろう、とは、私は言わなかった。私は彼の瞳を見て、およそ次のように述べた。
「ほ、本日は、お、お招き頂き、光栄であります! こ、今後とも末永く、よろしくお願いいたします!」
そう、私は人気バンドのフロントマンを間近にして、びびっていたのだ。
この後、NHKホールを出た私とS水君は、タクシーへ乗り、帰路を辿った。窓の向こうを、夜の外苑西通りの、濃紺の風景が流れていく。ふと思い立って、スマホでクリープハイプのウェブサイトを見ると、アルバムツアー追加公演は、大阪、福岡、仙台、横浜、神戸、と続くようだ。S水君に訊けば、尾崎世界観として、再び小説を書く予定もあるらしい。その折にはぜひ、今度は〈文学の側〉で、彼と話してみたい。