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英雄イチロー選手を生み、育んだパシフィック・リーグから見た惜別と寂寥感

やっぱり野球って最高だな

2019/03/28
プロ野球史上初めてシーズン200本安打を達成した1994年のイチロー ©文藝春秋

 先日、日本でのシアトル・マリナーズとオークランド・アスレチックスのMLB開幕戦・公式戦が行われましたが、そのカードの途中でプロ野球界のレジェンド・イチロー選手の引退が発表されました。誠に残念なことです。

 そのイチロー選手は、日本での輝かしいキャリアとしてシーズン200本安打の達成(1994年9月20日)があるわけですが、その200安打目を献上したのは千葉ロッテマリーンズの名左腕・園川一美からの一打でした。

イチローはいかにしてパ・リーグの顔になっていったのか

 園川といえば、まだパ・リーグがパ・リーグであった時代の大人気選手であり、ロッテオリオンズの1985年2位と上位指名されたにもかかわらず、1位が高卒の石田雅彦だったため「なんで僕が2位指名なんですか」と拒否するも「石田よりも契約金を多くあげるから」とロッテフロントに説得されて、歴史に誘われて運命的なロッテ入団を決意するという暖かいエピソードをもっています。

 その上位指名・園川とロッテ編成担当者との入団面談場所は渋谷ハチ公前であり、ロッテもロッテだが園川も園川であると思うわけであります。この園川入団の1985年、ロッテは首位西武とわずか15.0ゲーム差の2位と名門球団の貫禄を見せつけ、万全の体制で園川入団に漕ぎ着けています。

1987年、ジュニアオールスターに登板した園川一美 ©文藝春秋

 やはり園川の醍醐味は平凡なフォームから繰り出される高い回転数のストレートとたいして曲がらないけど速い変化球のコンビネーションによる空振り率の高さ、そしてうっかりミートされてしまったときの凄まじい打球の飛距離であると言えるでしょう。まさに、元祖「飛ぶピッチャー」であり、ロッテの伝統として吉見祐治に、そして成瀬善久へと脈々と受け継がれる黄金のスキルであります。たくさん三振は奪うが、狭い球場のスタンドにどんどん本塁打を運ばれ着実に失点していく園川が淡々とイニングを喰っていく姿を見て勇気づけられたパ・リーグファンは少なくありません。

イチロー登場前夜、パ・リーグはかくも麗しい世界であった

 とにかく、抑えないのです。打者に立ち向かっていく園川、全力で振り回す打者。一時期はロッテファンからも「川崎バッティングセンター1号機」と揶揄され(2号機は小川博)、さらには近鉄・トレーバーにぶつけ、激昂したトレーバーがマウンドに突進、逃げ切れずに殴られる園川、そのトレーバーの顔面にパンチを叩き込む金田監督。しかし退場させられるのはトレーバー。驚くべき荘厳さ。何と美しくも神々しいロッテのあるべき規範、予定調和なのでしょう。

 もともと近鉄は元ボクサーであったリベラを起用して乱闘に備えており、また、後年南海が獲得したバナザードは園川や日本ハム・武田一浩にすっぽ抜けたバットを投げつけるなどの紳士的なプレーで鳴らしており、園川に4タコで抑えられたアップショーはショックのあまりスランプに陥って同年オフに解雇されるなど、天才イチローを育てたパ・リーグという肥沃な土壌は、まさにここにありました。