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統計的評価法では明らかに「外れ値」

 しかしながら、これらの科学的で統計的な野球の観点から見ても1993年の園川のWARは概ねマイナス10.1から10.6ぐらいと算出され、現代野球ではちょっとお目にかかれないレベルで猛烈にチームに損害を与えていることがはっきりしてしまいます。園川の負けを生み出す能力が科学的に証明されてしまった瞬間であります。

「たくさん失点しても、とりあえず5回6回ぐらいまでは投げてくれる」という園川の特性が、これらの統計的評価法では明らかに「外れ値」であり、そんな投手起用はふつうされないというコペルニクス的転回であったことは言うまでもありません。

 統計的にここまで変な投手は、シーズン65試合に登板した中継ぎなのに規定投球回に到達してしまい統計上の投手評価では理論が確立していた「ブルペン補正」を崩壊させた下柳剛(1997年、日本ハム)とこの園川だけであることは特筆に値するでしょう。「ブルペン補正」とは、先発投手と中継ぎ投手では投げる環境が違うので同じ指標で比較しないようにするために必要な統計的処理のことです。現代野球において、長いイニングに備えて余力を残した投球をしなければならない先発投手に比べて、短いイニングを全力投球できる中継ぎ(ブルペン)のほうが空振り率などの指標で有利になるため能力評価が一定の割引をされるという仕組みです。

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 かつて神々の戦いとされたプロ野球の時代において、稲尾和久(西鉄)や佐々木宏一郎(近鉄)のころは先発完投当たり前、昨日先発したのに今日も救援に登板というのが普通だった時代とは比較がなかなかむつかしいのです。金田正一のような400勝投手が出ることは、分業や技量の向上した現代野球では不朽の記録と言えます。その現代野球ではもっとも登板数の多かった久保田智之の90登板でもイニング数では108回であったことを考えれば、65試合に出てきて147イニングも喰った下柳の「アイアンホーク」ぶりはヤバかったことはご理解いただけやすいでしょう。下柳剛は化け物級にヤバく、こんな選手が毎年何人も出てきたら別の指標がいるんじゃないかと悩んだほどです。そのヤバさを軽く超えるのが園川であると思っていただいてまったく問題ありません。

1996年3月30日、福岡ダイエーホークスとの開幕戦に登板した園川一美

レジェンド王監督が化け物の登板に驚き、怒る一幕

 園川の恐ろしさを軽く見てはいけません。たいして勝てない投手にせよ、とにかくイニングはしっかり喰うので、監督としては登板させたくなるのです。そして、年に2回ぐらいは先発2失点完投とか、場合によっては完封までしてしまう。このギャンブル性の強さで「ひょっとしたら園川はやってくれるのではないか」という万馬券的起用をしたくなる監督によって無事に園川はローテーション入りし、時として試合を作り、概ね毎回試合をぶち壊すのが園川の、ロッテの「味」であったのです。

 15敗した1993年は8完投していますし、後述する1996年には無四球完投負けという珍事を起こすまで、園川はずっとロッテ先発陣の一角に入り続け、起用されてきました。それまで小宮山悟や伊良部秀輝や村田兆治、小錦ヒルマン、荘勝雄といったロッテの錚々たるエース先発陣ほどではなくとも、4番手から6番手のローテーションに残り、なんだかんだ投げ続けている、そのなかでたくさん失点し、山ほど負けているというだけなのです。

王監督は「先発投手には格というものがあるだろう」 ©文藝春秋

 そんな園川一美は1996年、こともあろうにイチロー選手も尊敬してやまない王貞治監督率いる福岡ダイエーホークスとの開幕投手に抜擢され、生けるレジェンド王監督の三大名言である「開幕投手には格というものがあるだろう」を見事導き出し、パ・リーグの野球の歴史に不朽の名を残すことになります(王監督の他の名言は「ピッチャー鹿取」と「ピッチャー吉田修司」)。

 しかも園川はこの開幕戦で園川らしくそこそこ好投し、味方の大量援護に守られつつも5回に炎上して勝ち負けつかずでマウンドを降りてしまいます。さらに、この年の園川は開幕投手まで務めておきながら1勝も挙げることはできませんでした(7敗、防御率5.45)。

 結局、王監督を怒らせるだけ怒らせておいて園川本人はシーズン未勝利に終わるというあたりに園川のくさい屁のひり方を思わせ、流石だなと思うわけであります。

王貞治を激怒させた「開幕投手・園川事件」 本人が振り返る|NEWSポストセブン
https://www.news-postseven.com/archives/20170328_504706.html