1ページ目から読む
4/4ページ目

レジェンドの潔い引き際を見せつけた偉大な選手の最後

 その園川は、1997年無事に通算100敗を達成(生涯成績76勝115敗)。その後もこれといって変わった風でもなく普通に登板していたのですが、1999年突然「力が衰えた」と言って引退を宣言してしまいます。引退を決意した年は3勝3敗防御率4.11と、むしろ園川としては好調の部類に入るので、てっきり円熟の極みに達したかと思っていたためファン一同園川の引退宣言にはびっくりしました。「単に投げるのが面倒くさくなったんじゃないか」とか「コーチ打診されて引退勧告と勘違いしたんじゃないか」などの憶測は飛び交いましたが、とにかく引退してしまいました。

 良くも悪くも縁のあった地元でのダイエー戦で引退試合をして選手生活の最後を有終の美で飾った……はずが、その次のオリックス戦でも敗戦処理で出てくるというロッテ仕様なあたりも園川であった、と思うわけであります。

 引退後も園川は園川であって、オリックスの若き左腕・中山慎也が序盤に大炎上するも大石大二郎監督によって晒し投げさせられ、結局12失点(被安打15、与四死球7)の完投負けという園川一美に次ぐ大変な記録を打ち立ててしまったことがありました。

ADVERTISEMENT

オリックスに通算10年間在籍した中山慎也 ©文藝春秋.

 それを見た園川、いても立ってもいられなくなったのか、13失点完投左腕という大先輩の威風を吹かせるかの如く激励をオリックス中山慎也にしてしまいます。もちろん、園川に激励をする資格は充分にあります。実際、園川は13失点完投後の次の試合で完封勝利を収めており、立派に園川野球道を貫いていったわけなのですが、中山には園川の激励と期待は荷が重かったのか、続く先発2試合はいずれも炎上してそのシーズンは一軍で姿を見ることはありませんでした。

12失点完投負けオリ中山にうれしい知らせ
https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20090508-491852.html

バリバリのパリーガーとしての矜持が

 余談ながら、こう書くと中山はたいしたことない左腕のように見えますが、なかなか良い回転のストレートと変化量の大きいカーブが主体のブレイクショットが持ち味の投手で、とても良い投げっぷりで大好きな左腕でした。惜しかったのはスライダーなどの変化球が早めに曲がり始めてしまうこととセット時のフォームでストレートか変化球かが右打者からバレやすい癖があって、修正が効かなかったのか、もったいないなあと思っていました。4シームチェンジアップでも覚えていればセットでの制球難も克服できて大成したかもしれないと思うと残念です。ダルビッシュに中山が投げ勝った試合は鳥肌が立つぐらい気魄が乗った素晴らしいピッチングでした。

イチローのラストゲーム。日米通算4367安打という不滅の記録を残して引退した ©文藝春秋

 そんな園川は、冒頭にも書きました通りイチローからシーズン200安打という記念すべきヒットを打たれた際に試合後インタビューされて「いや、別に僕1人で200本打たれたわけじゃないですし」と語るナイスガイでありました。当たり前だろ。でもそういう伝説ある選手との絡みがあってパ・リーグを盛り上げ世界的な選手を輩出できた環境は、まさに80年代から90年代の「実力のパ・リーグ」の生み出した大輪の花の土壌だったんじゃないかと思うのです。バリバリのパリーガーとしての矜持が、園川の凄さを存分に引き出すことができたわけでして、やっぱり野球って最高だな、と感じました。

 イチロー選手、長らくお疲れさまでした。