『カーネーション』以降登場するニュータイプのヒロイン
『カーネーション』の糸子が、それまでの安心&安定のヒロインたちとは一線を画す存在として登場したにもかかわらず、多くの視聴者から支持された理由……それは彼女のエネルギーの源が自分の夢を阻む男性たちや、女性が前に出ることが許されなかった社会への「恨み」や「怒り」ではなく、美しいもの、愛するものへの「憧れ」と「慈しみ」であったから。
幼い頃に「女だから」という理由でだんじりを曳かせてもらえず、男たちの勇壮な姿を見つめていた糸子。ミシンと出会い、洋服を縫って女性を輝かせることに生きる喜びを見出す糸子。彼女の生涯の支えは戦争で死別した夫でも、ひと時の恋に落ちた周防でもなく、心の底から憧れて愛しただんじりと岸和田の町、そして自分をどこまでも自由に羽ばたかせてくれるミシンだったのでしょう。
この『カーネーション』以降、朝ドラには少しずつニュータイプのヒロインが登場します。『純と愛』の純(夏菜)、『あまちゃん』のアキ(能年玲奈)、そして『半分、青い。』の鈴愛(永野芽郁)。
『純と愛』に関しては、途中から物語の展開自体がトンデモ方向に走りだし、最終回の詩のような純のモノローグで「ちょ、どうした?」とテレビの前でフリーズする視聴者が続出。『あまちゃん』はヒロイン・アキの造形も含め、いろいろな意味で朝ドラの歴史を大きく塗り替える作品でした。
朝ドラ史上、もっとも視聴者の好き嫌いが分かれた『半分、青い。』
そして、とうとう来ましたね、彼女について語る時が。「朝ドラ史上、もっとも視聴者の好き嫌いが分かれたヒロイン」と冠をつけずにいられない『半分、青い。』の楡野鈴愛です。
私、高校時代までの鈴愛はむしろ肯定派だったんですよ。片耳失聴というツラい現実を抱えながらも明るくポジティブに生きる姿に元気をもらいましたし、学校で聞こえない左耳に手作りの集音機を装着するのも、初デートで拷問器具についてアツく語るのもユニークで全然嫌じゃなかった。
違和感を覚え始めたのはやっぱりアレです、漫画家編から。師匠の原稿を窓から捨てると脅迫し、幼なじみの恋人に「律は私のものだ! 律を返せ!」と高らかに宣言。さらに師匠・秋風に対して「先生は漫画を描くために人の心を捨てたんだ! だから先生は家庭もなくて、ひとりもので、友達もいないんだ!」と言い放つ。いやもう、コレはダメです、怖すぎる。