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中居と仕事をしたキッカケは「ナイナイと歳が近いから」

<『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』で1990年にディレクターデビューした片岡飛鳥が『笑っていいとも!』をディレクターとして担当したのは前期と後期に分かれている。93年に半年間務めた前期と、95年秋から『めちゃ×2モテたいッ!』(『めちゃイケ』の前身番組)のスタートと共に、ナインティナインをレギュラーに引き連れ参加した後期だ。>

『いいとも』は金曜日に縁があって、28歳で初めてディレクターをやったときも金曜日担当でした。『いいとも』におけるさんまさんの全盛期ですよ。延々と爆笑が続くタモリさんとさんまさんの雑談コーナーのどこでおなじみの「チャーラッチャチャ~♪」と鳴らしてCMに行っていいのかわからないみたいな緊張感を半年味わいました。

 その後、一度僕は『いいとも』を離れるんですけど、1995年に『めちゃモテ』が始まると同時にもう一度戻れと会社から言われてまた金曜日をナインティナインとやったんです。トシちゃん(田原俊彦)や野村沙知代さんとも一緒でしたね。で、そんな時にSMAPの誰かとやらないかと言われて、(香取)慎吾くんや(草彅)剛くんよりナイナイと歳が近いほうがいろいろな笑いを共有できるだろうと思って、中居(正広)と組ませてもらった。

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 今思えばすごく軽いノリで決めたことなんですけど、中居とはその日から『めちゃイケ』の最終回までずっと続いたわけですから。運命みたいな感謝もしてます。

レギュラーでもないのに卒業アルバム(→#1)の表紙に江頭2:50と共に掲載される中居のイラストに片岡との強い信頼関係が窺える ©フジテレビ

『めちゃイケ』『いいとも』『めちゃイケ』『いいとも』……休みなき殺人スケジュール

 そして1年が経過して、いよいよ『めちゃイケ』が始まるんです(1996年10月19日)。

『めちゃイケ』は月曜に会議をしたら、火曜・水曜は収録、木曜から金曜の朝まで徹夜で編集を続けてから、そのまま寝ないで新宿のスタジオアルタへ行き、『いいとも』の生放送を終えて、すぐに翌週分の会議も済ませる。で、休むことなく夕方に再び『めちゃイケ』の編集室へ戻る。土曜・日曜はロケハンとか次回の編集の準備で終わり…というような異常に忙しい毎日が始まったんです。当時の『めちゃイケ』は自分ひとりで撮り続けなきゃいけない状況で…もちろんゴールデンタイムのプレッシャーも大きく、精神的にもかなり追い詰められた状況で2カ月ぐらいが過ぎた。

 そんなある日にですね……『めちゃイケ』の編集がめずらしいことに朝7時くらいに終わったんです。『いいとも』は10時入りだから、3時間ある。当時新宿に住んでたから、アルタも近いし、じゃあ、ちょっと着替えようかって1度帰ったところで寝ちゃったんですよ。

 で、この話は思い出すのが苦しいんですけど……起きたら夕方5時半! もう意味が分からなかった、だって1時に生放送もとっくに終わっての5時半ですよ。『いいとも』8000回以上の歴史で唯一、ディレクターが来なかった回になってしまったんです。もう驚くとかゾッとするとかは超えて、何もかもイヤになった(笑)。

「笑っていいとも!」の公開生放送が行われていた東京・新宿のスタジオアルタ ©時事通信社