「なんとディレクターが来てないんです! 飛鳥さん、起きてください!」
あとからその日の放送を見ると、生放送のいいところなんですけど、めちゃくちゃ盛り上がってる(笑)。カメラに向かってみんなが「なんとディレクターが来てないんです! 飛鳥さん、起きてください!」って。今考えれば自分のやらかしをネタにしてもらってるんですけど、僕としてはもう、とにかくしんどくて、目覚めてからも動けずにボーッとしてたら、岡村と中居が『いいとも』の次の仕事もたまたま一緒の現場だったらしくて2人で家に電話をかけてきてくれたんですよ。電話に出ると、2人がキャッキャしながら「どういうことですかあ?」みたいに笑ってる。岡村が26歳で中居が24歳とか? まだ若いですからちょっとハシャいでる(笑)。
彼らとしては僕が相当落ち込んでるだろうと、わざわざイジってくれてるんですけど、当時の僕は心も体もボロボロでただただツラくて、そんな優しさも受け止められずに「起きられるわけねえだろ!」ってまさかの逆ギレ(笑)。そしたら2人も「すみません…」ってシュンとなってしまって……どう考えても謝るのはこっちですから(笑)。大人気ないにもほどがある。あのときのことはいまだに中居からも叱られますね。
「辞めちゃうんだ……」15年後のタモリさんの忘れられないひと言
それで、「また遅刻を繰り返してしまう可能性もあるから続けていく自信がないです…」と当時の荒井(昭博)プロデューサー(※1)に相談して、後期『いいとも』も1年とちょっとで抜けて『めちゃイケ』に専念させてもらったんです。
だから実はタモリさんと仕事した時間というのは意外と少なくて。その遅刻のことをタモリさんにちゃんと謝ったのは、なんとそれから15年も経ってから。晩ごはんを一緒に食べさせていただくような立場になって、最初の日だったと思います。
タモリさんはもう忘れているかもしれないけど、お詫びもしないまま逃げるように『めちゃイケ』に没頭し続けて、山本圭壱の問題(→#1)じゃないですけど、ちゃんと「。」がついてないなと思ったので「あの日は遅刻して申し訳ありませんでした」と改めてお詫びしたら、タモリさんらしいテンションで「ああ、遅刻したよね~」って、タモリさんおぼえてた。で、「遅刻、面白かったけどね」と。けれど、「ああ、でも辞めちゃうんだ……と思ったんだよね」とボソッと言われたんです。それを聞いて顔から火が出る思いでした。だって、普段は『めちゃイケ』でみんなに「辛いことや悲しいことがあったときは全部笑いになるから」とか言っている僕が、そんなに大事件が起きていたのに、まったく反応ができなかったわけですから。それは遅刻したこと以上に、大きな傷として残っています。これはしんどいです。もう、めちゃめちゃ血の味ですよ(笑)。
#5 「160cmもないでしょ?」『めちゃイケ』片岡飛鳥と“無名の”岡村隆史、27年前の出会いとは へ続く
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#3 「早く紳助さん連れて来いよ!」 『ひょうきん族』で片岡飛鳥が怒鳴られ続けた新人時代
#6 「ブスをビジネスにする――光浦靖子は発明をした」『めちゃイケ』片岡飛鳥の回想
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#8 「加藤のマラソンが間に合わない…」『27時間テレビ』片岡飛鳥がナイナイの前で泣いた日
#9 「僕が岡村を休養まで追い詰めた…」『めちゃイケ』
#10 「最高33.2%、最低4.5%」『めちゃイケ』歴代視聴率のエグい振り幅――フジ片岡飛鳥の告白
#11 「さんまさんを人間国宝に!」ネット時代にテレビディレクター片岡飛鳥が見る“新たな光”とは?
※1 荒井昭博……1962年生まれ。『夢がMORI MORI』でSMAPをバラエティ番組に起用。『笑っていいとも!』のプロデューサーを務めたほか、『SMAP×SMAP』、『ココリコミラクルタイプ』などを手がける。現在はBSフジ常務取締役。
聞き手・構成=てれびのスキマ(戸部田誠)
写真=文藝春秋(人物=松本輝一)