「大きいお腹」を巡る人間ドラマは、本当に凄い
だからこそ、確かに書き手、作家として妊娠というのは「おいしい」し、でもそれ以上に無事に出産を終えてほしいと思うからこそ、はあちゅうさんのInstagramやnoteを見て「おっ、順調そうやな。良かった良かった」と眺めていたいのです。こんなにWIN-WINなコンテンツも珍しい。
西原理恵子さんの『毎日かあさん』や、川崎貴子さんの『我がおっぱいに未練なし』とか、鈴ノ木ユウさんの『コウノドリ』なんかは、そういう母親とまだ見ぬ子と伴侶や関わる医師やおっちゃんなどなど、いろんな人間模様が「大きいお腹」を巡ってドラマを起こす。これは本当に凄いことだと思うわけですよ。だからこそ、どういう経緯であれ、生まれてくる赤ちゃんは無事であってほしいし、作家がテーマにするにしても、その赤ちゃんを巻き込まないように細心の注意を払っておくべきだと思うんですよね。
『妊活』女性という弱い立場を属性ジャックしているのか
その点では、確かにはあちゅうさんも「妊活」をしていたのだろうし、その「妊活」をモチーフに記事でも本でも売ってやろうという目論見はよく分かります。しかし、妊活はじめて早々に新しい命をお腹に宿したのなら、順調なことは順調として、そのまま妊娠しましたと発表すればみんな祝福したと思うんですよね。でも、妊活して、頑張って、でも子どもが授からない、悩む、苦しい、みんな共感して! って話を無理に引っ張ろうとして演出めいた嘘をぶちかますから、あっという間にバレて「妊活フェイクやめろ」とか批判されてしまうのでしょう。
だって、大きくなるお腹と、つわりや安定期までの不安さ、生活の不自由さ、それでも夫婦で寄り添って出産まで頑張ろうねって話だけでも、充分コンテンツになるはずです。みんなも暖かく見守ってくれることでしょう。でも、リアルタイムで見ていて応援するつもりでいた側からすれば「なんだよ妊活フェイクかよ」と思ってしまうともったいないですし、はあちゅうさんへの批判が沸き起こった際に、彼女が機敏に「妊活している人が妊娠したら裏切りと思われる」ようなことを書いてしまったのを見ると「おまえ、そこでまた可哀想な自分を演出するために『妊活』女性という弱い立場を属性ジャックしているのか」と思ってしまうのです。
そして、はあちゅうさんの過去の経緯からすれば、あれだけ童貞を批判しておきながら #MeToo ではセクハラされた女性の立場を演じ、自身の運営するサロンの参加者に対価を払わずに仕事をさせ、そのサロン内で男性参加者によるレイプ騒ぎを起こして告発されるなどの話題を振りまいてきました。今回もその被害者っぽい属性をどこまでガチだと思えばいいのか、よく分からんなあとは感じます。
妊娠が判明してからも繰り返し妊活記事を投稿して、炎上。炎上してアメブロ1位になって喜ぶ一方、読者を誤解させたと罪悪感を表明しつつも「妊活始めた直後に妊娠しちゃって不妊様から叩かれてる可哀想な私」ってうまく被害者属性に憑依しているんですよね。さらに、今度は「マタニティマーク付けていた友人が知らない男につきとばされた」とかいう、嘘松なんだかガチなんだか容易には判断できないネタをはあちゅうさんはぶっ込んできます。コンテンツというのはそういうものだと思いつつも、生まれてくる赤ちゃんがみんなから祝福されるように告知したほうが良いであろうし、なぜこんなサイコパス的な言動に見えることをしてしまうのかは謎です。
はあちゅうさんは「私は中傷されて傷ついている」と言いたいのかもしれませんが、真面目に辛く苦しい妊活や不妊治療に取り組んで一喜一憂している女性とその伴侶のことを考えると、簡単に子どもや命のことをネタにするのもどうなのかと思ってしまいます。