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マキタスポーツが語る「ゴールデンボンバーに近いことをやろうとしてた」デビュー前夜

マキタスポーツ×おぐらりゅうじ #1

genre : エンタメ, 芸能

note

バブルを体験すべく、1988年に上京

おぐら うちの実家は埼玉で代々続く床屋なんですが、僕が会社に就職しないでこういう道に進んだのは、両親が自営業だったことも影響しているのかもなって。

マキタ サラリーマンがいない家庭で育ったことは関係あると思う。

おぐら マキタさんのご実家も自営業ですし。

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マキタ 山梨の「マキタスポーツ店」だからね。商店街にあるスポーツ用品店で、まわりは八百屋に肉屋に金物屋とか。近所にもサラリーマンがいなかったから、勤め人がスーツ着てネクタイ締めて出かけていく姿を見かけると、子供ながらに「仕事しにどっか行くんだ。すげー」って思ってたよ。

 

おぐら 僕の両親もずっと家で仕事をしていたので、子供の頃はスーツ着て出社する姿には憧れてました。でもそれを父親に言ったら「サラリーマンなんかになるな」「組織に頼らないで自分で稼げ」って返されました。

マキタ とはいえ、俺の育った時代は都市型ニューファミリーでしょう。休日になると父親はマイカーでゴルフに行き、母親は庭で花に水をやり、レースのカーテンの向こうから娘の弾くピアノの音が聞こえてくる、みたいなさ。

 

おぐら 90年代のはじめくらいまでは床屋もバブルでした。うちは本職の方も多く来店する土地柄だったので、パンチパーマやアイパーを注文する人がたくさんいて、僕が店で本宮ひろ志の『ドン 極道水滸伝』とかを読んでると「おい坊主、しっかり勉強しろよ」って1万円くれたりしました。さすがに小学生だったので、すぐ親に没収されましたけど。

マキタ いい話だなぁ。そんな中、俺は大学入学を機に東京でバブルを体験すべく、1988年に上京した。

おぐら バブルの時代に大学生はうらやましいです。

マキタ 全然だよ。当時俺が住んでいたのは、ドブ板みたいな裏東京だから。山梨では抜群の存在感を放っていたのに、東京の大学に入ったらまったく友だちができなくて、だんだん学校にも行かなくなり、結局ノイローゼになった。

おぐら それはどのくらい続いたんですか?

マキタ 丸1年くらいかな。その時期までは東京に来たこと自体のショックも大きくて、世の中の景気とかわかんなかった。それでようやく社会復帰して、歌舞伎町でバイトを始めたの。髪の毛にメッシュ入れて、サパークラブで働いてた。

おぐら いきなりメッシュでサパークラブ! 振り幅がすごい。