芸能活動はSNSに脅かされるのか?
おぐら 誰もが表現できるメディアを持つようになった時代って、芸能活動との相性はどうなんでしょう。
マキタ ジャンルにもよるだろうけど、脅かされている部分はあるよ。
おぐら YouTubeやSNSに限らず、たとえばカラオケが一般に普及して以後、歌が上手いことの価値や、歌が上手い人の存在感って変わりましたよね?
マキタ カラオケの普及によって、世間の歌唱力の平均点が上がったことは間違いない。でも歌に関していうと、プロとアマチュアは神秘性がまったく違う。歌の上手い人が気持ちよさそうに歌っている姿を軽はずみに公開しているのを見ると、一体どういう気持ちでやっているのか全然わからない。
おぐら 何を見せられているんだ……っていう。
マキタ なんかどぎつい下ネタを見せられているような気分になる。言ってしまえば、あんなのオナニーと同じですよ。一方ではこんなに下ネタに厳しい社会の風潮があるなかで、何の罪悪感もなく自分が気持ちよくなってる姿を公に見せつけていいの?っていうさ。
おぐら 欲望が丸出しの状態。
マキタ 丸出しも丸出しだよ。
おぐら ただ、そういう屈託のなさも時には大事なんじゃないかなとも思うんです。マキタさん自撮りってしますか?
マキタ あんまりしない、というか、緊張してうまくできない。
おぐら インスタとかで、何かを持ってる手だけの写真よくありますよね。
マキタ あるある。俺も手は写さないけど、対象物だけを撮るようにはしてる。
おぐら ああいう写真って、どれも光とか構図とかすごく計算されていて、なるべく自然に見えるように加工するのも繊細な作業ですよね。
マキタ 本来的な意味の“自然”じゃなくて、手間のかかった自然なのか。
おぐら ネットにアップしている時点で、たくさんの人に見てほしい気持ちは自撮りと変わらないけど、決して顔は写さない。そして、フレームの中に他人は絶対に入れない。そういう強烈な自意識に比べると、その場のノリで自撮り棒を出して「一緒に撮ろう~」って言える素直さとか、自撮りした顔のアップを加工して「盛れた~」とかって喜んでいるほうが、実は可愛げがあるんじゃないかって。
マキタ その指摘はすごくおもしろい。自撮りができる人って、一緒に写るときも「はい撮りますよ~」みたいな感じでテンポいいし、その場で加工したりするよね。
おぐら でも手に何かを持ってる写真をアップしている人は、加工も家でこっそりやってます。
マキタ そっちのほうがよっぽど自意識強いのか。
おぐら なのに、自撮りの顔のアップの写真に対しては「はしたない」って思ってたりするんですよ。
マキタ それは思ってるでしょう。やっぱり自撮りができない人っていうのは、自分の欲望に対する原罪というか、罪の意識みたいなものがあるんだよね。アーティストの世界でもそのへんは確実に分断がある。
役者は「~っぽい」「そう見える」を突き詰める職業
おぐら なるべく顔を出さないミュージシャンって、昔からずっといますね。もしくは、キャリアの途中から急に出すようになったりとか。
マキタ 意識的に道化になれるかどうかの問題もあるし、どっちのほうがファンが喜ぶのかとか、一概にどっちがいいとは言えなかったりもするんだけどね。
おぐら マキタさんが映画の撮影で殺陣を指導されたときに、「こうした方がもっと“強そう”に見えますよ」って言われた話がありますよね。
マキタ うん。役者は「強そう」だけじゃなく、「~っぽい」とか「そう見える」ってことを突き詰める職業だから。それはリアルな「強い」とは違う。俺は剣道をやっていたんだけど、剣道において「強そう」は何の意味もなくて、実際に強くなきゃいけない。