芸人・マキタスポーツさんと、「テレビブロス」でおよそ8年にわたって連載しているコラム(『越境芸人』で書籍化)の担当編集者・おぐらりゅうじさんの対談最終回です!(全5回の5回目/#1、#2、#3、#4が公開中)
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「一億総表現者時代」もフェーズが変わってきた
おぐら 最近は「一億総表現者時代」もフェーズが変わってきたなと思っていて。インフルエンサーという言葉が広まったあたりから一気にビジネスの匂いが強くなったり、のほほんとした身辺雑記ですら“ブランディング”の一要素として組み込まれ、迂闊に作品のレビューを書けば炎上の対象にもなる。SNSに向き合うときの、緊張感の度合いが桁違いになったというか、もはや片手間ではできなくなってきました。
マキタ プロアマ問わず、好むと好まざるとにかかわらず、自分を表現せざるを得ない時代にはなった。勇気を出していっそやめてしまうっていう手もあるんだけど、それすら「私がTwitterに限界を感じた理由」とかって他人に見せびらかすでしょう。
おぐら 僕は「キラキラ退職エントリ」と呼んでいるんですけど、会社を辞めるタイミングで、入社の経緯にはじまり、その会社で関わったプロジェクトや成し遂げたこと、先輩や後輩へのメッセージなんかを綴った「退職のご報告」を投稿したりとか。謎に「俺のビジネス理論」を頻繁に更新する人とか。あとは、誰に聞かれたわけでもないのに、生まれや育ち、好きなものについて延々と書いた自己紹介記事のリンクを固定ツイートにしている人とか、もう有象無象ですよ。
マキタ 素人なのにオフィシャル感があるよね。もはやSNSは運営するものになってる。
おぐら 「退職のご報告」は公式発表みたいな感覚なんですよね。そういう記事は冒頭で「すでにご存知の方もいるかと思いますが」とかって書いてますから。
マキタ TwitterにしてもFacebookにしても、素人が「もうやめようかな」とか普通に言ってるけど、誰かにやれって言われて始めたわけじゃねえだろって思うよ。
おぐら 「やめたら楽になったよ」とか、事務所に言われて仕方なく始めた芸能人みたいな気分ですよね。
マキタ 「もう書きたくない」って、売れっ子作家の断筆宣言かよ。
おぐら そもそも自分自身をキュレーションして人気を得るのって、プロでも難しいことですよ。
マキタ 人からよく見られたい、認められたいっていう欲望はどうしたってあるものだけどね。
おぐら 平成の終盤は、承認欲求が市民権を得た時代だと思います。どの時代の人にもあったはずですが、それまでは人前に出すことがはばかられていた。
マキタ 昨今はその欲望があまりに肥大してしまって、今はその反動もきてる。