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松井玲奈はなぜバズる私小説ではなく、病んだ人々の静かな物語を書いたのか

インフルエンサーではなく、ハッカーとして

CDB

2019/04/12
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たった一人の人間の心をどこまでも

『ハンドメイド』では不倫相手の上司のために手作りの弁当をホテルに持っていくOLを。『ジャム』ではウイルス感染したプログラムのように分裂する自我の幻視を。『リアルタイム・インテンション』では動画配信の世界で津波のようなネットの声に飲み込まれる青年たちの悲喜劇を。『拭っても、拭っても』では清潔さへの自閉とそこから別の場所に歩き出す女性を。

 透明なハッカーである書き手は彼らの一人称にオーバーライドし、ある時は『いとうちゃん』のように背後からマウスに手を添えるように物語をクリックし、カーソルの向きを変えて結末を救う。またある時は『完熟』のように破滅に向かう2人をただ悲しげに見送る。

 EC企業社長が「俺をフォローしたら100万円を100人にやる」と叫んでフォロワーを増やし(1億円をばらまくまで、彼のフォロワーは松井玲奈の半分だった)、大学教授ですらSNSの中で何人の人間を集めてインフルエンサーになれるかに魂を奪われてしまう、誰もが人間を数で束ねようとするこの時代に、100万人のフォロワーを持つ松井玲奈はたった一人の人間の心をどこまでも静かに深く切り分ける、ハックする小説を書いているのだ。

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一人称のハックを楽しんでいる

 松井玲奈は現在公開中の『21世紀の女の子』という短編連作映画企画の一作『reborn』(坂本ユカリ監督)に出演し、ハンサムな彼氏を持ちながら決定的に違和感を抱えた少女の「私の半分は海にある」という独白を演じているのだが、小説においては彼女が演じることができるのは同世代の同性だけではない。

 小説の中で松井玲奈は6つの短編で「俺」「僕」「私」という一人称を使い分け(時には一作の中で語り手が変わる)、性別も年代も違う人々が語るその一人称を演じている。それは彼女にとって言語の演技なのだと思う。巻末のプロフィールに「女優」ではなく「役者」と記す松井玲奈は、バラバラの一人称で語られるこの短編連作の中で、有名人として縛られた自我から遠く離れ、性別も年齢も違う他者のことばを演じること、一人称のハックを楽しんでいるように見える。ローマの休日を楽しむアン王女のように。

 文学の歴史はインフルエンサーとハッカーの戦いの歴史である。社会に流布し、多くの人を感染させ動かすコードに対し、ある時その暗号化された無意識のコードを解読するアノニマス、名もなき者が現れる。彼がコードをハックして停止させる、あるいは改造された新しいコードを作りだす、それが小説である。その小説がインフルエンスして社会を動かすようになれば、またそれをハックする者が現れる。コンピューターとインターネットが人類の歴史に登場するはるか前から、インフルエンサーとハッカーは言葉を戦場にして熾烈な戦いを繰り広げてきたのだ。