敗戦間近ないまの日本企業の悲惨な姿
そしてそれは、繰り返しになりますが富士通だけの問題ではないのは当然です。このNTTコムでも他の日本企業でも「イケてる人ほど、技術の研鑽のために社外の人たちと交流がある」し、「イケているので、どこの企業でも通用するスキルを持っている(と思われる)」のは共通しています。そこで、世界的な大企業であり、高給が得られるであろうGAFAMの門を叩くのはイケてる人ほど考えるであろうし、何であれば、GAFAMの側からそういう人材をサーチして引き抜きにかかってくることになるのです。
そこにきて、最近Googleなどでは退職者ブログが流行し、Googleに勤めていた人が、Googleは良い組織で素晴らしい環境だったけどしたいことができたので辞めました、という記事が続々と掲載されることになりました。これを見て、彼我の環境の違いに愕然とする日本企業従業員はたくさんいたことでしょう。
本当の意味でのフレックス。本当の意味での自由な開発環境。本当の意味での勤務評価に、本当の意味で必要なことは上司に自由にかけあえる企業風土。同じ人間が集まって事業をしているのに、ここまで状況に差ができるというのはどういうことなのか。
国内で似たような企業が血みどろの競争をする一方、日本にやってくる規模の外資系企業には、世界的な競争に勝ち抜いた錚々たるブランドに強い企業風土を抱えたピカピカの会社が多くあります。国内でどれだけ頑張って官公庁や国内メガバンクの仕事をしていても、海外で通用するプロダクトとはお世辞にも言えないプロジェクトで疲弊しているのが日本企業でもあります。経営者の質の違いだけでなく、資本力、商品・サービスの構成力、利益を生み出す力が、これらプラットフォーム事業者であるGAFAMと日本企業に大きな差として目の前に厳然と突き付けられている、それが敗戦間近ないまの日本企業の悲惨な姿なのですよ。
繰り返される失敗の本質
東芝を見ましたか、シャープはどうでしたか、ジャパンディスプレイはいかがでしょう、それと類する事態が企業の崩壊よりも前に優秀な若手人材の大規模な流出、それも取り返しのつかない規模での喪失という現象を起こしているのは、なぜだと思いますか。
結局は、日本を、社会を、企業をどうしたいのか、どうするのが理想であるのかという具体的なものがまったく見当たらないので、不明瞭な方針しか立てられず、貴重な人材はどんどん戦死してしまい、組織がガタガタになって利益構造が壊滅してからお金が足りなくなって身売り先を探さざるを得なくなる、それが繰り返される失敗の本質なんじゃないかと思うんですよね。