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優遇されてきた若い男性も切り捨ての対象に

上野 オイルショックからバブル期までの「失われた20年」も、労使協調による社内リストラだけで乗り切ってしまったから、構造自体は何も変化していません。そのツケが今になって回ってきている。政治家も、労働者も、経営者も、これまでの成功体験に目がくらんだままなのですね。

濱口 オイルショック時には男性正社員を守った一方で、パートやアルバイトから優先的にバサバサ切って、難を逃れた企業も多くありました。

上野 でも当時問題にならなかったのは、婚姻と人口の状況が違っていて、家族というバッファーの厚みが違っていたからです。婚姻率が高く、婚姻の安定性が高く、出生率もそこそこ高かった。今はそのバッファーが失われつつあるから、問題となってきたんです。

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濱口 その場合も、まず問題とされているのは「男の雇用」なんです。1995年に発表された『新時代の「日本的経営」』がその契機なのですが、日経連は「若い男だからといって安心するなよ」というメッセージを発信しました。

 ここではっきりさせておきたいのは、日本の若者は――ただし男性ですが――欧米と比べて採用において信じられないくらいの「良い目」を見てきたということなんです。大学を卒業したというだけで、何の職業訓練も受けていない若者が、全員正社員として採用されてきた。欧米では、大学を卒業した直後はほとんどの人が失業状態。そこから一生懸命職業訓練を受けたりトライアル雇用を経て、「私はこういうことができます」とアピールして企業に入り込んでいく。

 日本の若者たちは今、かつての「信じられないくらいの良い目」から「そこそこの良い目」になってしまったことで、若者がこんなにひどい目に遭っているという議論がもてはやされる時代になっていますが、それもあくまで男性だけなんです。

上野 学生は「良い目にあってきた」とおっしゃいますが、大学側から言えば「よけいな智恵をつけないで白紙の状態で送り出してくれ」と言ってきたのは誰なんでしょう。いわゆる就職氷河期世代から見ると労働環境は激変していますが、女性の目から見ると何も変わっていません。女はずっと差別されていましたから。

濱口 日本企業が変わる動機は、いつも男の扱いからなんですよ。

「合理的」な判断が不平等な社会を維持してしまう

上野 川口章さんの『ジェンダー経済格差』に恐ろしいことが書いてあります。差別型企業と平等型企業を比べると後者の方が前者に比べて経常利益率が高いという実証データが出ている。なら経済合理性から考えて差別型企業が内部改革をして平等型企業へ移行すればいいようなものだが、その可能性は無い、と答えておられます。なぜなら「動機が無いから」という。これを濱口さんはどう思われますか?

上野千鶴子さん

濱口 この本の一番言いたいところはそこなんです。「女性が活躍する社会」という政府のスローガンレベルの話であれば、日本の制度も欧米に比べてちょっと遅れている程度なんです。

 それが「企業」となるとどうか。企業に意志があるわけではなく、所詮は人の集まりに過ぎません。労働問題も、その時々に人事部がその企業にとって「合理的」な判断をしているに違いない。その結果、不平等な社会が維持されてしまうんです。

上野 局所最適でも全体が不合理という状況ですね。こういう近視眼的な「合理性」はいつまで続くのでしょう? 次の変革はいつ起きるでしょうか。

濱口 これも女性についてではないでしょう。おそらくコストの高い中高年に対して、「今まで通り正社員の扱いをしてもらえると思うなよ」という変革が起きると思います。新卒採用を絞ってきたぶん、バブルより前に入れた高コストの男たちの行き場がなくなっています。団塊世代が引退するまでは企業もじっと我慢してきましたが、そろそろ仕組みを変えなければならないときに来ていると感じているでしょう。