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テレビって、よく目のアップになりません?

――misonoさんもNosukeさんも、ブログやSNSではポジティブな言葉で情報発信をしていますよね。

misono Nosukeも自分も、辛いときもなるべく笑いに変えようと思っているから、面白いと思う写真はSNSにアップしています。Nosukeも、病気を受け入れてからは、なんでも楽しむし、misonoを笑わせようとしてくれるようになりました。でもその様子を「病人で遊んでいない?」「からかってる」と世間から批判されることもあります。「でもさ」って思う。「毎日泣いていればいいの?」って。「悲劇のヒロインぶってる」とか「同情をかいたいの?」って散々、叩かれて来ましたし。ほら、テレビでの「患者とその家族」って、よく目のアップになりません?

――看病している方の涙がこぼれるところをズームしたり。

misono そうなんです。自分が看病する側になると「誰が泣いているところを見たい?」って思うし、「笑い飛ばしていたほうがよくない?」と考えていたので、泣いているところばかり注目されるのは……ちょっと違うなと感じることもありました。うちら夫婦の形は、「とにかく笑い合うこと」だったので。

――笑顔が一番の薬とも言っていましたね。

misono それまではもっとポジティブでハッピーエンドな歌詞を書けって言われても一切書けなかったのに、初めて毎日前を向いていたんですよ。前を向かないとって言い聞かせていました。うれしいことに、薬がよく効いて、肺への転移は消え、抗がん剤治療も最短の4クールで終わることができました。

「この1年は人生の10年分くらいなんじゃないかな」

――がんが分かったとき、misonoさんはNosukeさんと入籍し、エイベックスを辞めたばかりでしたね。

misono Nosukeのがんが分かったから入籍や事務所を退社したわけじゃないんです。

 付き合ってすぐにNosukeのお父さまが亡くなられ、喪が明けたと思ったら、その日に今度は自分が喪中になってしまったので、結婚したくても、すぐに入籍することはできませんでした。喪が明けて、ようやく入籍したのがお義父さまの誕生日である9月13日。翌月にエイベックスを辞め、11月頭にNosukeのがんが分かったんです。この1年はもう人生の10年分くらいなんじゃないかと思うぐらいの経験をしました。また一つ強くなれた、というか。

――怒涛の1年でしたね。

misono 本当にあっという間だったんですよ。退院した日はその足で郡山に行き、翌日にチャリティーイベント「福魂祭」に参加させていただきました。2人でまだデートもしていない状況です。