――忙しいですね。
misono 結婚してからは、ゆっくりしようとしていたし、エイベックスを円満に退社してからは、海外に移住しようとしていたのですが……。治療費を稼ぐために、とにかく働いていました。
唯一、正月に1週間オフがありました。病気が分かる前に、Nosuke含め神田家全員で海外旅行しようと空けていたんです。入院のためにその予定をキャンセルしたので、夫婦でNosukeの実家で過ごすことになりました。でも、Nosukeは「misonoと2人でいられる」ってそれだけで幸せそうなんですよ。病院では治療のため家族は泊まれず、一日中ずっと一緒にいることはできなかったので。それまでの自分だったら、空いた時間で映画を見たり、友達と会ったりするんですが、「コンビニもないような田舎に来た?」と思うくらいずっと2人で家にいました。東京なのでめっちゃ栄えているんですが(笑)。
――一歩でたら都会です(笑)。
misono そうなんです。外に出たとしても、個室のあるレストランじゃなくて地元のファミレスに行ったりして。結婚してから、そんな風に過ごしたのは初めてでした。一緒に寝て、起きて、食事が出来てっていうささやかなことが、いまのうちらにとっては本当の幸せで。しかもNosukeのお母さまの栄養たっぷりの手料理が規則正しく3食でてくるっていう。
実はmisonoとNosukeは家庭環境が真逆なんです。家族と仲が良く、両親が大好きで、しょっちゅう実家に帰りたいと思う自分とは違い、Nosukeは実家にあまり行こうとしなかったし、せっかく一緒に行ってもすぐに帰ろうとしていました。それがいまは、Nosukeの実家で2人一緒にお義母さんの手料理を食べている。Nosukeがお母さんに素直に「ありがとう」や「ごめんね」を言えるようになったのを見るのも嬉しいです。
2年間は妊活ができません
――Nosukeさんは、精巣がんの治療のため左睾丸を摘出されています。若年層のがんの場合、子どもを持つことができるかで悩む方もいますが、お子さんのことについて2人で話す機会はありましたか?
misono 病気を公表して以来、取材を受けるたびに「お子さんは?」と聞かれました。そのたびに「まずはNosukeの病気を完治させることです」って言い続けていましたし、そう考えていました。
Nosukeが退院した今は、子どものことも考えています。でも、抗がん剤が抜けるまで、2年間は妊活ができません。いま自分は34歳なので、子どもを授かっても36歳以降での初産。高齢出産です。事務所にいたときは、筋を通したかったし、順番を守りたかったので「できちゃった婚」という選択肢は自分の中ではありませんでした。それでも、できるだけ早く子どもが欲しいとずっと思っていましたし、結婚してからも、子どもが欲しいと言っていました。そもそも昔は保母さんになりたかったくらい、子どもが大好きだから。
――Nosukeさんは?
misono 正月に一緒におみくじを引いたとき、Nosukeは一番に「安産って書いてある!」って喜んでいました。おみくじを見て最初にそう言ったから、たぶんNosukeも欲しいんだろうな。
写真=鈴木七絵/文藝春秋
ヘアメイク=大西トモユキ
misono(ミソノ) /アーティスト・タレント。1984年10月13日生まれ、京都府出身。B型。夫はロックバンド「HighsidE」のドラマー・Nosuke、姉は歌手の倖田來未。2002年8月、「day after tomorrow」のボーカリストとして活動をスタート。活動を休止した後、ソロアーティストmisonoとして再デビュー。音楽活動の他、バラエティやモノマネ番組、声優、女優としても活躍。活動を海外に広げている。4月19日からNosukeと2人でレギュラーラジオ番組「misoNosu家」がスタート。7月13~15日に上演するロックオペラ「ライフパスファインダー2019」で、主演とオーディションの審査員を務める。