昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

働かないと治療費が払えない!

――Nosukeさんの反応は?

misono たぶん、Nosukeは本当に落ち込んでいて、周りが見えなくなっていたと思います。がんはストレスが一番よくないというから、Nosukeが何かネガティブなことを言っても、自分はぜんぶ前向きな言葉で笑って返していたんです。「大丈夫だよ」「治るよ」と。それがNosuke的には嫌だったようで「なんでそんなこと言えるの?」「死ぬかもしれないのに」って。ウチの励ましも、能天気な発言に聞こえてしまい、はじめはよくぶつかっていました。

――何が原因でケンカになってしまったんですか。

misono Nosukeからすれば「四六時中そばにいてほしい」。でも、保険にも入っていなかったですし、自分はエイベックスから独立したばかりで、お金もなかったんです。貯金もしていませんでした。ウチは「そばにいる場合じゃない、自分が稼がないと治療費が払えない」と思ってしまい、より仕事をするようになりました。ボランティアやチャリティーをメインに仕事していたこともあり、Nosukeが治療を受けられるよう、1日に2~3本の仕事を入れてハシゴして、数をこなすしかありませんでした。1月は海外で歌唱するお仕事もあったので、渡航費もあり、家計は赤字でした。

©文藝春秋

――そばにいてあげられる状況じゃなかったんですね。

misono 毎日病院に顔を出し、仕事で病院にいられないときは、Nosukeが1人になった時に落ち込まないように、必ず家族や友人にNosukeのそばにいて欲しいとお願いしていました。でもNosukeは、「一番そばにいてほしいのはmisonoだ」と周りの人に言っていたんです。仲のいいたむけん(たむらけんじさん)や淳(ロンドンブーツ)から、「結婚したら休むって言っていたのに結局、働いてるし、こういう時こそ傍にいてあげなよ」とか、「今入っている仕事を飛ばせとまでは言わないけれど、新しい仕事を1つ断って一緒にいてあげたら」と諭されることもありました。misonoを本当に理解してくれ、信頼している2人の言葉なので、それを聞いて、改めて自分を見つめ直しました。でも皆が皆、Nosukeの味方をするので、何が本当の愛情なんだろうと訳が分からなくなりました。ウチにとって何が愛かといえば、 Nosukeの病気を治すために働くこと。でも、Nosukeにとってそれは愛でも優しさでもなくて、彼のそばにいることだった。

「がんだから」と甘やかすのが愛?

――Nosukeさんが働けない分も、misonoさんが働いて支えていたんですね。

misono 「じゃあ借金する? ウチは誰にも借りたくないし、借金まみれにもなりたくない」。そういうことも話しあいました。自分は17歳でデビューしたのですが、若い頃に両親にお金をかけてもらっていたぶん、34歳になって家族からお金を借りることは、したくなかったんです。もちろん姉にも。それは姉であり、倖田來未というアーティストの重荷になりたくないからです。そんなふうに自分の考えを伝えていただけなのですが、Nosukeに対して厳しすぎるように見えるのか、周りからは「がんなんだから」「もっと優しくしてあげて」と言われてしまいました。